選挙権を18歳に引き下げ、そのことについて思うこと。
政治とか疎い情弱のぼくが ” 投票 ” という言葉を聞いて記憶に新しいのは「大阪都構想住民投票」であるが
その中でぼくがひどいなと思ったことが、投票動機の9割超が「感情論」ということである。ぼくの嫌いな頭の悪い人間というのは良くも悪くも感情的で、意見や主義主張を論理的に是非を判断するでなく、ただそれを言っている人が「好き」か「嫌い」かで判断する。
今回では「変更についての手続きがめんどくさいから」「親に言われたから」「橋下市長が嫌いだから」だった。
橋下市長の戦略は挑発で相手を自分のフィールドに引きずり込み相手の論理的思考力を鈍らせて、自分自身の主張のほうが知的であるという弁護士らしい戦法だが
その弁護士であるがために、論争の勝ち負けに拘り、戦略的撤退というのがなく、そのために敵を作りすぎた、それが敗因となったように思う。要するに国民が以下に馬鹿で愚かかということを全く考慮していなかったのだ。
「民」という漢字は、日本人ならだれでも知っているであろう。
国民、人民、和民。では、この「民」という漢字の成り立ちを知っているだろうか
民と言うのは象形文字、俗に絵から漢字になったというタイプだが。その民の象形がなかなかに本質を捉えている。
というのも、民というものは目に針を指す光景から来ていて、転じて「盲目な人々」というのが原点である。つまり、民というのは目を潰され道も歩き方もわからないままに誰かに寄り添ってどこかへ誘導される人のことを指す。
つまり、民主主義だ何だと言っても、結局国民のレベルが低いままだと、誰かに先導されるだけの、盲目の奴隷にしかならないのだということである。
今回の選挙権18歳に引き下げ、というのも。そんな意図を感じざるをえないのである。
「大阪都構想住民投票」でも(それしか知らない)反対派のスローガンは「わからないなら反対を」だった。それがいかに相関しているのかはわからないが、結果、それは功を奏したのである。
つまり、有権者にほとんど情報を与えずとも、票を確保するように誘導できてしまうというのが今回の結果は顕著に現れているといえるだろう。
そしてそれが18歳に引き下げたらどうだろうか、成年であってもこのざまであるのに、さらに経験や教養に乏しく自主性に欠ける未成年有権者がより政治的な判断を持って票を入れることができるとは、ぼくは思わない。
「親に言われたから」投票する人もいるのだから、実質親の選挙権が倍になっただけのように思える。
それのなにが問題かというと、宗教団体の組織票や、教育陣、2chなどの「団体」の政治勢力を強めるだけにしかなっていないということである。
「みんなで考える民主主義」が「馬鹿を多く集めたものが勝つ民主主義」になるのである。
というわけで、ぼくとともにみなさんも勉強して下さい。
とくに6月以前生まれの17歳は来年から有権者になるわけですから
おそらく、教師も何かしらの「誘導」を行うでしょう
そこで、ぼくからの提案が
先生の言った「政治に関する発言」は全てTwitterに「拡散希望」を添えて書き込みましょうということで
教師を含む公務員は、政治活動を禁止されていて、私生活を含め「政治的中立性」を保たねばならなく、というのも「支持政党?ぼくは言えません」と回答するのが正解である。
ですが教育陣とくに社会系統の先生が授業の一貫として様々な政治家の名前を例に挙げてこういうのはいけないよ!と教えるわけですから「誘導」を簡単に行えるわけです。
おそらく、良識があればそういうところには最新の注意を払って、極力バイアスを削除した客観性を維持するでしょうが、みなさんは教師全員が善玉だと信じないようにしましょう。
「この先生の授業を受けたら、なんだか投票するべきところが見えてきたぞ!」
と思ったら、すぐさまTwitterで支持を仰ぎましょう、「先生が言ってた」というのも忘れずに。
おそらく、第三者機関に通報しても完全に対処されるとは言い難いので
こっちのほうが現代的な対処法と言えるでしょう
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