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【マシュマロ解答】知能指数が低い人間は、趣味の程度も低くなると思いますか?


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生得的に知能指数が低い人間は、趣味の程度も低くなりますか?
あまり頭を使わずに済み、単純でプリミティブな刺激による精神の高揚をインスタントにもたらすようダミングダウンされた、インチキで陳腐な娯楽の類しか楽しむことができないのでしょうか。

一生それじゃあんまりなので「安くても楽しめるグルメ」「ジャンク品のすごい活用法」みたいなノリで「低IQでもできる知的生活の方法」というテーマの指南書があっても良いんではないかと思っています。

「境界知能をどう支援するか」みたいな本はすでにたくさんありますが、「社会になんとか適応させる」という専ら実利的かつ初歩的な視点に留まらず、彼らが知的にも精神的にもそれなりに豊かで尊厳ある生活を送れないだろうかということを話題の中心に据えた議論は寡聞にして十分になされていないと感じます。

知能指数が低い人間は、趣味の程度も低くなると思いますか?... | マシュマロ

 

回答が1000文字を超える予感がしたので記事にしています。

僕のファン?は長ったらしいマシュマロ回答もちゃんと読んでくれている傾向にあるので、さも当たり前かのように過去の回答を引用します

 

例えば「難しい」というワードを意識的に使わないようにしています。 なぜなら「複雑である」「処理が追いつかない」「前提知識が足りない」等に細分化できるからです。しかし、理解できないものを「難しい」で片付けてしまう人は多いです。 そこを深掘りして細分化する習慣の違いは体感しますね。 僕はこれを「心の解像度」と読んでます。

ざっくりとした質問で恐縮ですが、ぎ〜くさんの考察力はどのようにして培われたのでしょうか。 | マシュマロ

この考え方でいくとこの質問には不明瞭な変数が二つあると思います。

 

知能指数が低い

趣味の程度も低くなる

 

まず「趣味の程度」という変数、僕はなんとなく

「アウトプット型>インプット型(異性への性欲を伴うのが最底辺)」

と趣味に勝手に優劣をつけてますが、質問者さんとその価値観を共有しているとは限りません。

また世間一般では消費(インプット)型の趣味を持ってるのが多数派なので、「趣味に優劣なんてない!」というポジショントークの多数決が一般的かと思われます。

なので高尚な趣味は何か、低俗な趣味とは何を指すかが分かりませんでした。

ただ、その下の「プリミティブ(原始的)な刺激」という表現からテレビ(またはYoutube)やパチンコ、ポルノ的なものを想定しているのだろうと推察しました。

ただその反対概念、つまり何を高尚な趣味に置くかは読み取れませんでした。

 

次に「知能指数」ですが、これも曖昧性を多分に含む表現だと思います。

例えばアウトプット型、つまり創作系の趣味を僕は上に位置づけていますが、

IQ70の方が作曲、動画編集、サムネ作りに勤しんでいるケースもあるわけです。

 

ここだけをまとめると「知能指数が低くても趣味の程度は別に低くない」という結論に僕は至ってしまいますが、おそらく質問者さんの言いたいことではないかと思われます。

ここからは推察になってしまいますが、知能指数の指す実態は「理性」ではないでしょうか。

 

「インチキで陳腐な娯楽」の正体は、マインドハック(ソシャゲのログボ的な精神依存)と身体ハック(タバコのニコチン)で

それに負ける人間というのは「知能が低い」ではなく「理性を捨てている」ということではないでしょうか。

で、この「理性を捨てている」というのは知能指数と相関があるのでしょうか?僕はそうは思いません。

 

僕は頭を使うことが娯楽なタイプなので一日中「考える」という行為を楽しめますが、ボードゲームをやっていると「頭を使うのに疲れた」といってやめる相手がいたり、僕が薦めるゲーム等を「遊びにまで頭を使いたくない」と拒否する知人など、「考える」という行為を拒絶する人間はままいますが、僕より社会的地位が高かったりすることは全然あります。

これは別の論点で「思考(集中)の時間配分」という概念の話になってきますが、要は学業や仕事のような世俗接続行為に思考のリソースを割き、可処分時間はむしろ頭を溶かして過ごす。というメリハリを持っている人間は多い、というかそれが普通の感覚のような気がします。

僕は仕事は手抜いて、遊びはガチでやるものだと思っているので相容れない考えですが。

 

話が逸れた気がしましたが、ここまでで「趣味の程度が低い」ことは「知能指数が低い」ではなく「理性を捨てる」ということと関係していることを示しました。

そして「理性を捨てて」趣味と向き合うことは、知能指数とは関係がないことを示しました。

まぁ知能が低いと「理性を捨てた低俗な趣味」しか選択出来ないので、ある程度は相関があるかもしれませんが、知能が高いと「低俗な趣味」と「高尚な趣味」を選べ、前者を選択する人間はかなりいると推察されるため、やはり知能とはあまり関係がないと言えるでしょう。

 

もっと言えば「高尚な趣味」(それがなにかわかりませんが)を選択してなお、知能が低ければ魅力を最大限捉えることはできないでしょう。

また、知能(or技術)があれば「低俗な趣味」から知をマイニングすることも出来ます。

工口マンガ統計という同人誌は、工口同人誌という「低俗な趣味」を数千冊サンプリングしてガチの統計学的な手法を用いて考察されています。

 

つまり、知能が高ければ高尚な趣味だろうが低俗な趣味だろうがそこに《意味》を見出しますが、知能が低いと趣味の高低に関わらずファッショナブルな消費しか出来ないのではないでしょうか。

「低IQでもできる知的生活の方法」というものはNULLであり、知的生活ができるからnot低IQなのです。

僕はそう思いました。