絵…ルネ・マグリット『ゴルコンダ』
タイミングがタイミングなので、インターネットの誹謗中傷についての僕の意見を述べたいと思います。
そもそも"誰かの自殺に起因して社会が動くこと"はあまり社会としては健全ではないと思っていて、こういう表現をすると誤解を招きそうですが、「テロリストの要求を飲む=テロリズムを肯定する」ことになるから要求を無視するというものと同じで「自分の死によってでは社会を変えることはできない」という風潮づくりはまず前提として大事なのかなと。まぁ当人はそういう思想もなく追い詰められていただろうというのは察しますが。
なので僕はあえてくだんの件には触れないように意見のみを述べます。
とはいえ、高校生ぐらいの時に同じような記事を出してるんですよ。
根本的に主義主張はその頃から変わってないですけど、当時は尖っていたりゲーム実況者のもこうさんのブログに影響を受けた文面になっていて見るに堪えないということで今の自分の言葉でもう一度語りたいと思います。
この記事を書いた時に、批判や人格否定、クズ等のコメントも寄せられました。
まぁ僕の人格についてはおおよそ間違っていないので特に問題はないですけど、今見返すと根本的に一点誤解があることに気づきました。
たしかに僕は「誹謗中傷を受ける側がメンタルの防御力を高めるか、そもそも見ない努力をすべき派」だし、ネット上で自分を偽らなかったり礼節が無いのは事実ですが
僕は他人を誹謗中傷したことはほぼほぼ無いし、したいとも思ってないんですよ。
(syamuさんを「悪の自覚がない純粋悪」みたいな表現をしたことが誹謗中傷に当たるなら謝罪します、すみませんでした。)
例えるなら、
「僕は麻薬を吸わないけど、麻薬によって生活に支障がでるのは自己責任だからわざわざ法規制するまでもない。」
まぁ麻薬じゃなくてもいいです
「僕は賭博はしないけど、賭博によって生活に支障がでるのは自己責任だからわざわざ法規制するまでもない。」
こういうポジションから"インターネットにおける言論は自由であるべき"という主張をしているんですよ。
5年前の記事だと「俺がインターネットで好き勝手言いたいから自由のままにしてくれや」というポジションだと誤解されていて、うまく伝わってなかったのかなと今となっては思います。
今回の記事は「僕の」というタイトルがついているので、僕の話しかしません。興味がなくてもお付き合いください。
誹謗する側としての主張
そもそも僕の自分ルールとして「人を好きになるのに理由は必要ないが、嫌うためには客観的な理由が必要でなければならない。理由がないならできるだけ好きになる努力をすべき」という行動原理があります。
なのでこのブログではゲームや映画の悪口を書いたりしていますが、できるだけ合理的な批判になるように努めています。逆に言えばその批判が改善された時に、僕は逆にできるだけ好きになるように努力すべきなわけです。とはいえ"理由がなければ好きにならなければならない"というのは努力目標なので、僕は大抵の場合無関心になりますが。
とはいえ、当人が不快になればそこに合理性があるかは関係ないと思うので、僕が正しいとか僕を見習えという意図はないです。あくまで僕はそういう考え方で生きているという話です。
さらにもう一つの自分ルールとして「他人と同じ感想なら、わざわざ発信する必要はない」というのがあります。
コメント欄でも「○○について記事書け」みたいなリクエスト(?)をいただいたりして一応全部目は通しているんですが、その内容が「誰が見ても明らかにそいつが悪い」みたいな炎上案件だったりと僕の意見と世間の主張が同じならあえて僕が発信するまでもないなと思って記事にしていません。何かを期待していた人はすみません。
理由は3つほどあって、
A)他人と違う主張である場合のみ、審議にかけるという意味でも発信する意義があるから
B)誰かの代弁者になる気がないから
C)言われる側はもう聞き飽きてるだろうから
A)他人と違う主張である場合のみ、審議にかけるという意味でも発信する意義があるから
完全にひねくれ者ですけど、僕の抱いた感想と世論と抱いた感想が違っていたなら、僕は傲慢なので「お前ら間違ってね?俺が正しいっしょ」というモチベーションで記事を書いてます。
結果的に僕が正しければ良いことをした感がありますし、逆に僕が間違っていたとしても反対意見をいただいたり、参考になる文献を教えていただいたりで自分の思考や知識がブラッシュアップされて非常に建設的な議論ができた時間になるので楽しいです。
逆に「〇〇が△△をいじめていた」みたいな、明らかに○○が悪い!ってわかりきっていることを記事にしても、それを読んだ人が「確かに!○○が悪い!お前は正しい!」って同調しか無いと思うのであまり建設的ではない。もっと言うとこういう主義主張が同じ者同士が集まった馴れ合いの雰囲気が好きじゃないんですよね。
僕も常に考え事しながら生きていて、割と森羅万象について感想や意見を持つタイプの人間なのですが、その中でも物議を醸しそうな皆さんと主張が食い違ってそうなもの、あるいは皆さんと意見は同じにしてもその中で人と違う発見や気づきをピックアップして記事にするようにしています。
なので結果的に逆張りマシーンに見えてしまっているかもしれません。
B)誰かの代弁者になる気がないから
僕はこれを理由にするほど発言力のある人間ではないですが、よく著名人のリプ(コメント)欄で
「《創作作品の名前》についてどう思いますか?」
「《炎上事件》についてどう思いますか?」
これらの質問がよせられたりしますが、これはその著名人の考えや主義主張が気になって質問しているように見えて、本質は違います。
前者は、
× その著名人の《創作作品の名前》の感想が聞きたい
○ その著名人に《創作作品の名前》を褒めてほしい
後者は
× 《炎上事件》についてその著名人がどういう意見を持っているのか気になる。
○ その著名人に《炎上事件》を叩いてほしい
何が言いたいかと言うと、本質は質問者の人はその著名人に対するパーソナリティや個人的な主義主張に興味がなくて、要は自分の好きな著名人が自分の思っていることに共感してほしいだけなんですよ。
物申す系ほにゃららや、毒舌系うにゃうにゃが人気が出るのもこれと同じ原理なのかなと思っています。なので彼らは過激派に見えて共感してほしい層の反感を買わないように慎重に言葉を選んでる人気商売だったりする。
まぁこれは有名人だけじゃなくて友人間でも起こりうる状況で、僕も知り合いとかに共感して欲しそうに感想を求められたら良いと思った点のみを言ったり逆に悪いと思った点のみを伝えたりしますけど
ことこのブログにおいてはそういう人気商売的な媚の売り方をする気が無いので、syamuさんの記事は僕がなにか気づいたことでも無い限り更新しないと思います、ご了承ください。
C)言われる側はもう聞き飽きてるだろうから
今回の件で言うと「そんなに大事なものなら洗濯機の中に放置しておくなよ」って感想は誰もが思ったんじゃないでしょうか。
正直僕はそこが原因というより、普段の生活での不満の積み重ねで洗濯の件はきっかけに過ぎないと思いましたけど。まぁテラスハウス自体好きじゃないので切り抜きしか見てないんで断定はできないですが(ちなみにこれは根拠のない"好きじゃない"なので、偏見を取る努力をすべきですね)
まぁ誰しもが思う感想だし、特に日本人は答えのある問題の正解を見つける訓練しかしてこなかった側面がありますから、こういう絶対崩せないアドバイス性のある正論、あるいは揺るぎない相手の非を突くことはノーリスクで正義を執行できるので気安く言いがちです。
ですが、言われた側からすれば耳にタコができるくらい言われていることで「わかったわかった」となることだったりします。
明確な「失敗」で"次はしないように気をつける"で済む話であったとしても、あまりに多くの人から言われまくると、とんでもない失敗をしたんじゃないか、自分は存在してはいけないんじゃないかと自己肯定感をスリップダメージのように減らしてしまいます。
これは、失敗を人格批判に結びつける叩き方も問題だと思います。例を言うと「親の育て方が悪かったから人生設計の見通しが甘くてこんな失敗するんだろうな」みたいな(実は僕はそういう人格批判のやり方は行わないように気をつけていたりします)
相手の失敗の"原因探し"を自分の「人のふり見て我がふり直せ」的なニュアンスで理性的に行うなら健全です。しかし、言っちゃ悪いですがそれを頭の悪い人、感情的な人が行うと認知バイアスによって歪められた人格批判の材料にしかならないのも事実です。
これらの理由から、僕は世論に同調するような内容の記事は建設性がないので書かないようにしています。
上記のように、僕は「悪口を書く側」としては自分ルールの中で行うようにしています。
(相手が不快になったらそれは無法の悪口と同じだと思うので自己正当化はしませんが・・・)
アンチコメントされる側としての主張
僕自信は自分の悪口に自分ルールと根拠に基づいた自信を持っているので、他人を不快にさせたという理由だけでは発言を撤回したりはしない人間ですが、外のインターネットユーザーにそれを求めるつもりはないです。むしろ、無責任にアナーキーに垂れ流すべきだと考えています。
そもそも誹謗中傷の使われ方自体微妙な気がしています
法的には「根拠のない事柄を持ち出して、他者の名誉を傷つけること」であって具体的には名誉毀損罪、侮辱罪、信用毀損罪があるんですけど。
つまり「〇〇は殺人者の子孫だ」みたいな根拠のないことをあたかも事実のように公の場に発信することで、その人の仕事が無くなるだとか会社の売上が下がるみたいな実害が起きた時に成立するものなんですよ。
特にこの件で芸能人が「アンチコメントやめよう」的なことを発言してますけど、そもそも芸能人は自分の人格や容姿を商品として売っている立場の人間で。だから「あの芸能人つまらない」みたいなのは「あの会社のコーラはまずい」と言っているのと同じなわけで、企業が「自社商品をまずいというのはやめてくれ!訴えるぞ!」ってのはおかしな話であるように、誹謗中傷を履き違えている人は結構いるように思います。
なのでこのパラグラフのタイトルは誹謗中傷という言葉を使わず「アンチコメント」という表現を使っています、ちなみに上の方は僕は中傷(根拠のないことで他人を攻撃すること)はしないので「誹謗する側」としました。(このように僕は自分の文章の単語一つ一つについてその言葉でなければならない理由を説明できるくらい自信を持って発信しています。)
アンチコメントについて、ここが今回の記事のメインになります。
まず今回の件でも「相手を自殺に追い込みたい」ことに自信を持っているなら、その悲願が叶ったことを誇るべきなんですよ。ですが当人はアカウントを消して逃亡しています。
つまるところ「ガチのアンチは実はほとんど存在していない」というのが僕の持論です。
僕はそもそもアンチがいるほど有名じゃないのでそういう被害はないんですけど、そういう人間がいたとしても僕は多分アンチとしてカウントしないと思いますね。
誰かのアンチっぽい人のTwitterアカウント等を見ると、特定の誰かの悪口でいっぱいだったとします。中には過激な言葉もいっぱいあります。「しね」とか「消えろ」「地獄の苦しみを味わってほしい」など
そしてある日、その人は偶然死神に選ばれ「特定の個人を"一人だけ"好きな死因で勝手に死んでくれる権利」を与えられたとします。デスノートを一回だけ書く権利がもらえるみたいなものを想像してください。
そのアンチの人は特定の個人を自分が責任を取らない手段で殺せる手段を手に入れましたが、実際そのアンチ活動の対象である著名人を殺害対象に選ぶでしょうか?
僕はほぼほぼの状況において、アンチ活動対象の著名人を選ばないと思っています。
おそらくその人間は、自分の上司、教師、憎んでいる知り合い、親族、あるいは派遣法を作った某氏、のように自分の生活に影響を及ぼしている(と思っている)人物を選ぶと思います。本質的にそちらのほうが憎しみのプライオリティが高く、自分の生活の変化が期待できるからです。
現実に憎しみのプライオリティが高い人間がいない、おそらく引きこもっていたりと社会的生活から隔離されているため、憎んでいる人間を上から数えても一番上にその著名人が来てしまうくらい人間関係が希薄な人間でしか、その状況下で殺害する権利をアンチ対象の著名人に使う極稀な人間はいないと思っています。
ですが、このケースを本当のアンチと言うのも微妙な気がしています。アンチ対象がその本人でなければならない必然性がないので、ある種の自然災害のようなものに見えてしまうからです。
僕たちが地球の裏側の紛争によって奪われる命に同情しないように、会話を交わしたことのない人間に対してそこまで憎めるほど非合理的に出来ていないと思っています。
では何故、そのヘイトが著名人に向いてしまうのか。
例えば、アンチ活動を行っているAさんの憎しみランキングがあったとします
1位:Aさんの務める会社オーナー・ホールディングスの直属の上司
2位:Aさんの務める会社オーナー・ホールディングスの同僚
3位:著名となった世界線の私、ぎ~く
彼が死神に一人殺す権利を与えられても、彼が選ぶのは一位の上司です。
ですがそんな死神のいない現実世界でAさんは、3位のぎ~くさんのアンチ活動を行っています。たまに自分の嫌いであろう私人に対してガッツリ実名を出して誹謗中傷しまくっているやばいアカウントがいますがそれは例外で、多数派ではありません。
一番嫌いなのは上司のはずなのに、なぜか三番目に嫌いなぎ~くさんへの誹謗中傷に力を入れている。
なぜこのような現象が起こってしまうのか?
それは、上司の悪口をインターネットに書いても共感してくれる仲間がいないからです。
「あの上司の結果出てないのに自分のやり方にこだわるところが本当にうっとおしい!」とネットに書き込んでも、そもそもその上司を知っている人がいないので共感してくれる人がいません。
ですが「ぎ~くは頭がアレな人間をネタにしているくせにそれを学問だと正当化しているところが気持ち悪い」と悪口を書けば「ほんこれ」みたいに共感してくれる人がいます。
このように実際に共感の反応が無くても「ぎ~く 嫌い」で検索をかけて、自分と同じようなコメントをしている人が多数いるのを見て「自分には仲間がいる」と安心できるわけです。
「オーナーホールディングス 上司 嫌い」で検索をかけても同じ悪口を書いている人は絶対にいませんからね。
(ちなみにリアルでネットの活動がバレないように検索できない文字"~"を使って「ぎ~く」という名前にしているので僕の名前で検索することはできないんですけどね)
逆に言えば爆○イのような、匿名のまま私人の悪口が書ける裏サイトのようなものがあれば、例で言えばAさんの務めるオーナー・ホールディングスの裏掲示板のようなものがあってAさんは自分の素性を明かさずに上司の悪口を書き、それを同じ会社に務める匿名の誰かが共感してくれる。そういう環境がAさんにあれば嫌いランキング3位のぎ~くさんはアンチコメントを書かれずに済むというわけです。
このように本気でその著名人を嫌っている人というのは、本質的には少ないと思います。
基本的にアンチには数パターンあると思っていて
・自分は評価していないのにメディアの露出が多いケース
(・同業者)
・歪んだ愛
・自分の生活や行動を否定されたと思い込んでいる人
・周りに流されているケース
・主義主張が嫌いなケース
(・自分の行動に正義があると思いこんでいる)
パッと思いつくのはこの一覧ですけど、本当はもっとあると思います。
ですがほぼほぼこのケースに当てはまるんじゃないかと思います。
・自分は評価していないのにメディアの露出が多いケース
これは正直しかたないとしか言いようがありません。
新しいものに拒否反応を示す層っていうのはどのジャンルにも一定層います。
逆に、これらの層はある種脊髄反射的に攻撃的になっているだけなので、逆に言えば挽回の余地が大いにあります。
社会心理学では「名前を聞く(見る)頻度が多いものほど信頼度が上がる」というものがあります。新しく発売された全く名前の知らない企業や商品名より、異物混入などで社会的に騒がていたマク○ナルドやペ○ングを人は選んでしまうのは、その名前を多く目にしたり耳にするからです。
だからテレビや動画配信サイトのCMは下品に商品名を連呼するものばかりなのもそういう意図があります、商品の良さを客観的に伝えるより、15秒間に商品名を10回連呼するほうが心理的に信頼度が上がるからです。
それと同じで、ずっとメディアに露出し続けることができれば、これを原因としたアンチはすぐに馴染んでいくのは人間の本能で証明されているのです。
逆にカッコ書きで書いた「同業者」というのは厄介ですね。小説やラノベ界隈ではプロを目指している書き手のことをワナビというみたいですが、そういう人は音楽だろうと絵描きでもいるでしょう。
そういう人が「自分は売れないのに、自分よりレベルの低いあいつが人気なんだ、稼いでいるんだ。」という層が5ch等でアンチ活動をしていたりします。
この層の原動力は主に「嫉妬」だと思うので、これは当人の努力でなんとかするというのは難しいと思います。
とは言え「自分より売れているから」憎い。という行動原理で、憎む対象がその人でなければならない必然性は無いわけですから、僕は本質的にはこの人達はアンチではないような気がします。
よってこの項目に本質的なアンチはいません。
・歪んだ愛
ヲチスレ等で(特定のウォッチ対象のスレを立てて、その人の言動に対して感想を言い合う板が5chにある、その多くは悪口が多い)監視対象が失敗したり気を落としているとすごい喜んだりしているコミュニティがあります。
僕は本質的にはそれは一種の愛だと思うんですよね。
監視されている対象からすれば不快でしか無いと思うので、一方通行の愛ではありますが。
その人が喜んでいるところが好きだったり活動が上手く行っていたら自分も嬉しくなるというのは普通の愛だと思いますけど。僕はそれが逆ベクトルになっただけだと思うんですよね。
「あなたの私生活がルーズなところが仕事にも現れているよ」みたいなのを母親が言うと愛情で、5chに書き込まれているとアンチコメだというのはおかしいと思います。
まぁ元々好きだった対象の言動が年を重ねるにつれて変わっていった時に、一貫性を求めていたり、昔のまま変わってほしくない人が「ほら、やっぱり変わったせいで失敗したんだ。昔に戻ってくれよ」的な行動原理でアンチ活動していたり、細かい分岐はいっぱいあると思うんですが、このカテゴリはひっくるめて本質は愛だと思いますね。
よってこの項目に本質的なアンチはいません。
・自分の生活や行動を否定されたと思い込んでいる人
最近の例で行くと、筋トレを馬鹿にした(僕が見た限り本質はちょっと違うのですが)某タレントが粘着されています。
著名人が意見を発信した時に「自分の人生を否定された」と思った人がアンチになるケースですね。これがあるから有名人はできるだけ無難なコメントをするようになるんですけど。まぁ著名人のアンチと呼ばれる人の中では一番多いカテゴライズなんじゃないでしょうか。
ですが、これも本質はアンチが「自分の人生や生き方を否定された」と思っていることに起因する行動原理で、著名人側のアイデンティティに関係ないんですよね。
別にAさんという有名人が同じことをしても、Bさんという有名人が同じことをしても起こりうるので、そこにその人でなければならない必然性がなく、叩く側の自己肯定感が低いが故に他人の主義主張の多様性を許容できないメンタリティに問題があるので
これも本質的にはアンチじゃないと思いますね。
よってこの項目に本質的なアンチはいません。
・周りに流されているケース
確か2012年くらいに、大物YouTuberであるHIKAKINさんのTwitter上でどんなことを呟いてもリプ欄でボロクソに叩かれるノリみたいなのが流行ってたんですよ。
例えば「今日は○○に行ってきました!~~美味しかったです!」みたいなツイートすると「お前に踏まれた○○の大地が可哀想」「しね」「お前に食べられる~~が可愛そうだわ」みたいな感じですね。
でも、本人は絶対反応しなかったので、上で書いた"メディアに露出し続けることで信用を獲得する"原理で、今は逆に何をやっても「聖人」とか「神」って言われていたりします。
でも僕が思うに、8年前の当時に「しね」ってリプ飛ばしていた人間と、今「聖人」と崇めている人間って本質的に同じだと思うんですよね。
流石に時間が経っているから層自体は入れ替わってますけど「周りのノリで言動を決めている人」という意味で、そういう行動原理の人が一定数います。
叩いていい風潮がある時は窓割れ理論的にボロクソに叩いて、逆に神格化するノリになると宗教みたいに崇めるみたいな。
そのノリを真に受ける一部の人が本当に嫌いになったり、逆に真に受けて好きになったりしてカオスな状態になります。
これも一時のノリで言動を決めていて、その集団心理がすべてを決めるので、叩く対象が本人である必然性はないんですよ。
よってこの項目に本質的なアンチはいません。
・主義主張が嫌いなケース
さて、今までの項目にアンチは一人もいなかったわけですけど、この項目には多少いると思っています。
例えば「浮気するやつが嫌い」みたいな自分の中のルールが相手に適応されていないと嫌いになるケース。自分とはおおよそ関係のない芸能人の不倫とかを叩いたりしていますよ。
「自分の生活や行動を否定されたと思い込んでいる人」ケースと違って、少なからず信念のようなものを持っているので行動変容を促すことがほぼ不可能。
先の例では「浮気」という具体的な例を出したのですが、多分大多数の人間はそこまで具体的じゃなくて何というか「人間らしさ憲法」みたいな不文律が存在していて、麻雀の点数計算みたいに形状されていくわけですよ。
ぎ~くの悪行一覧
・障害をネタにした記事を書いている
・文章が痛々しい
・ところどころ挟まれるネタなのかよくわからない滑ってるフレーズがある
・夜中に山の中で全裸で自慰行為を行ったことがある
満貫(炎上)
みたいな
その悪行?をまとめたテンプレートを用いてアンチスレを立てたりしていると、アンチスレを見る前は何とも思わなかったのに、だんだんと対象のネガティブニュースばかりにさらされて対象が人格破綻者に見えてくる。
僕は特定の個人のアンチスレのパートをずっと追い続けたりしたことはないので実際のところはわからないですが、実は流動性が高いと思っています。
まぁずっと同じ話題が飽きない"職人気質"なタイプの人も一定数いると思いますが(だいぶ言葉を選びました)匿名掲示板だと発言が紐付けられないので真相は闇の中ですが僕はかなり入れ替わっていると思います。
個人を嫌うための言動のまとめや悪意のある切り抜きによって、興味ある人間(おそらく正義感の強めの人間)の思考が汚染されていきます。こうして悪意は伝染します。
ただ、アンチ活動って炎上にこぎつけないと成功体験が無いんですよね。レベルのないRPGでモンスターをひたすら倒しているような。アンチ活動に反応してくれる人や逆にめったに反応してくれない人のレスポンスをモチベーションにやっている人もいるでしょうが、成長しない自分に飽きると思うんですよ。
だからそれとなく離れる人も多いと思います。ですがそれと同じ数「悪意のあるまとめ」で教育された新入アンチも獲得します。そこに加えてアンチ活動を再開したOBとかもいたりして、アンチという組織が形成されていると。
この構造はずっといる職人気質の人を除いて、初期にコミュニティにいたアンチと今現在コミュニティにいるアンチとは別人になっていると思います。
アンチの思いだけが受け継がれていく、この受け継がれし卑の意思こそがまるで一人の人格のように電子の空気を支配していく、これがアンチの本質なんですよ。
とは言え「悪意のある切り抜き」によって流されているだけの人は多いですね。とくに5chのその時に一番勢いのある雑談系の板に建てられている出張スレはそんな感じがします。ある自分の詳しい界隈で炎上騒ぎが起きると、その炎上に対する反応がいかに”何も知らないまま発せられたコメントか”というのを痛感することが多いので、僕は不用意に炎上ネタに偉そうに物申すのを控えるようにしています。
浅いコメントになるのは明白ですからね。
まぁその無知な状態でネガティブニュースだけを受け取って悪口を書いている層は「周りに流されているケース」に分類していいと思いますが、そこからアンチの勉強をして卑の意思を継承して真のアンチに昇格する可能性があるので慎重な判断が求められると思います。
それが正義感ベースのパターンもありますね。
まぁこれは語るまでもないでしょう、自己陶酔型なのでアンチではないと思います。
以上のように自分に敵対するアンチの殆どは、僕基準ではアンチではないです。
と同時にこの記事で伝えたかったのは、他人に対する攻撃的な言動っていうのを信念を持ってやっている人は少ないと思いますね。
そもそも「世界で一番好き」とか言いながら3週間くらいで別れているカップルもいるわけで、人の感情というのはその本人自体も完璧に把握していないんですよ。
つまり、人がアンチコメントをする理由の多くは外的要因がほとんどで、アンチコメントする側に責任を持たせても意味がないと思っています。
だって自分の感情すら誰かに操作されているだけですからね。
目の見えない人に「事故ったらあなたの責任ですからね」と免許証を渡して運転させても事故率は変わらないのと同じ。目が見えていないからまともに運転できないのであって、責任があるかどうかは関係ない。
そもそも、叩いている人間も「自分の生活や行動を否定されたと思い込んでいる人」だったりメンタルが弱い人が多い。
人は本能的にネガティブな情報に対して関心を持ちやすい傾向があって、例えば戦国武将だったら自分の家臣に裏切り者はいないか目を光らせて生活していて、裏でこそこそ悪口を言っていたら「こいつは危険分子なんじゃないか?」と疑心暗鬼になることでサピエンスは反映してきたので自分に対する悪口には敏感に生きてきたわけです。
特に女性は群れの協調こそが世界の全てですから、99人に指さされて「お前は消えたほうがいい」って言われたら「私も私が消えたほうがいいと思う」と共感してしまうのは必至。
だからテレビのニュースは視聴者を不安や怒りを煽るような報道しかしない。なぜなら人はマイナスイメージに晒されると判断能力が落ちるからで。ネガティブニュースで判断能力が落ちると、その後のCMで流れた商品が買われやすくなる。
災害時の買い占めなんかはその典型ですよ。
だから本当に社会を良くしたいなら、不安を先導したり対立煽り的なキャンペーンそのものを法律で禁止するしかない。
でもそんなことは起きない。
なぜなら権力者側が愚民を管理したいから。
僕はアンチコメントをする側の人間ではないのにインターネットの匿名化、アンダーグラウンド化を強く望んでいるのは何故かと言うと
匿名化によって権力の介在が起きないからなんですよ。
有名人とか社会的地位のある人間が被害者ヅラして「インターネットを実名化しろ!」みたいに言ってますけど、実名化すれば権力や社会的地位のある人間に対して一切意見できなくなりますからね。
まず経済的に対応できる訴訟の数が違うこと、有名であるだけで賛同してくれる人の数が違うこと、社会的に制裁が加わってしまうこと。
例えば僕が超有名人で社会的人望があったとします。
あなたは実名で僕の批判をしました。
僕は超有名人なので、反論するまでもなく僕のファンがあなたを攻撃します。
実名なので、あなたの所属している学校や会社からも「問題を起こさないでよ」と処分が下るかもしれません。
なので、実名でインターネットをすると権力者側や社会的地位の高い人間が強い力を持った歪な社会構造になる。
社会的地位がない人間が著名人の実名化希望に賛成しているのは正直ぱかですよ。
そういうリスクを飛び越えて平等にバトルできるのが匿名化のいいところなわけでね。
「顔も名前も出さずに批判するのは卑怯だ!」みたいな意見がまかり通ってますけど、リヴァタリアンの僕からすれば「社会的地位の差で反論すらゆるされない私人対著名人の構造」のほうがよっぽど卑怯だと思いますけどね。
まぁ北朝鮮とか中国のインターネットの言論環境を見れば、匿名化がいかに素晴らしいものかわかるはずです。
だからインターネットにやってきた光の住人には知ってほしい
・闇の住人は信念を持ってあなたを攻撃していない
・闇の住人はあなたを本気で嫌ってはいない
・批判の数が無数でも、あなたの責められる失敗は1つだけ
・アンチは人ではない、空気の中にいる
・どうしても我慢できないなら悪意のある切り抜きやまとめで先導している奴を探せ
・これ以上インターネット言論環境を伐採するな
ダークサイドに神のご加護があらんことを。
P.S.
今回の件はどちらかというとアンチコメントというより粘着質な頭のおかしい人の悪意に晒されて疲弊していったケースだとおもうのですが、著名人のブログのコメント欄に毎日"誹謗中傷"していた主婦だったり、同級生に700回迷惑メールを送った高校生だったり、しつこい嫌がらせは法的に対処可能なので(今の判例基準だと、2~3回迷惑なダイレクトメールを送ったらアウトなんじゃないですかね)
そういうのは訴えていってもいいと思います。