頂いたマシュマロに回答しようと思ったのですが、1000文字を超えてしまったので記事にしました。
文字数制限とか伏せ字機能とかが鬱陶しいので、暇があれば今後何らかのQAシステムを自前で作って代わりに設置しようかと思います。
ぎ〜く兄貴は成人と未成年の恋愛(同意の“行為”を伴う)についてどう思われますか? 特にその未成年は諸々の知識に対して少なくとも無知ではなく、自ら成人の相手を求めている場合について見解をお聞きしたいです
https://marshmallow-qa.com/messages/bd2cde93-87da-4cf8-8858-b3a82bcabf24
欧米の人権意識では
「性的同意能力がないから強姦と同じ」
という論旨で未成年淫行も獣姦も意識で虐待とされるのですが
前提として個別事例では未成年も動物も合意能力があるケースは存在すると僕は思います
この「個別具体的には同意能力があるケース」と、それを全体として公平な法を適用するミクロマクロの合成の問題が一つあると思うんですね
したがって問題を切り分ける必要があります
①未熟な心をハックする性犯罪者を排除する問題
②未成年の自由意志の問題
まず「性交渉について未成年とは一律禁止」となっているのは、①のリスクを排除するためですよね。
なので社会学的、心理学的に合意形成ができているので不問とするといった例外を作ってしまうと、それをハックするやつが現れるので全ての穴を塞ぐと
ただこれは本来、判断能力が未熟な子供に変わって家族や近隣住民がその関係の是非を判断するという慣習が元々あり、
それが明文化する過程で「未成年でも結婚を前提としていれば16歳くらいとはセーフ」みたいなのがコモンロー的に残されていたり、その是非を親が被害届を出せるという点においても、地域社会が当人の将来性などを鑑みて判断をするという伝統が反映されています。
しかしながら法治社会が進む関係で地域社会の繋がりが空洞化したことや、またフェミニズムやネオリベラリズムにより、本人自体の主体性が家制度を超えて尊重されるべきという個人主義の拡大によって、本人の性体験や恋愛関係の変遷が家族や地域社会に共有されないということが起こります。
(田舎にすぐ噂が広まる的なのはこの逆と言えますね)
つまり、「性欲で近づいてきた大人」か「誠実に関係を育みたい大人」かを判断していた地域の繋がりの代わりに法がそれを統治するわけですが
法というものは個別具体例を解像度高く拾えるものではないので、一律に成人−未成人のセックスを一律に禁ずるという雑な処理になっていると
ではそもそも論、地域が判断を代行するほど未成年には性的なものを含めた合意形成能力が無いのかと
そこで②の問題ですが、未成年者の「中には」しっかりした、ちゃんとした合意形成能力がある人間もいます。僕がそうでした(確信)
ただそれを全体に拡張して良いものかという問題ですよね。
でこれを「自己決定権をある属性に認めるべきか」という人権や自由意志の問題として議論するために話がややこしくなっている気がするのですが
僕が思うのはそもそも先進国の法律が自由意志や自己決定権を尊重するように作られてるようには思えないんですよね。
つまりですよ、「未成年に自己決定権を認めるべきか?」の問いには「成人には自己決定権が十分に認められている」という前提が内包されていると思うのですが
成人に自己決定権が認められているなら一夫一婦制になってるのはおかしいじゃないですか。
人権思想を貫徹するならば、本人の自由意志と責任に基づいて婚姻契約は人数無制限に結べるようになってないと筋が通らない
これがキリスト教的な価値観由来であっても、日本で一夫一婦制にする理由はありません。
つまり法理としては当人の自己決定権の上位に何らかの国家の論理が規定されていると考えるのが自然です。
僕が思うに、これは強者オスによるメスの独占を防ぐためにあると思うんですよね。
これはナンパ界隈で良く使われる図ですが、基本的に本能に規制をかけず無秩序な自由恋愛市場では、強者オスがメスを独占します。
これは他の動物を見ても概ねこの構造です。
つまり、個々人の恋愛関係やその判断には理性があるとみなしても、マクロではこの結果に収束してしまうということです。
フェミニズムはそのアンサーとして女性らしさの解体をすることで、男性が女性の性的魅力で恋愛対象を決めてしまうことを加害とし
「一人の人間として」というワードが良く使われますが、要するに↑図のような本能をメタ認知して理性的にパートナーを選ぼうとさせることで、上記のような性的資本格差を是正しようとします。
しかしながら「その逆」、女性の側が自分の本能をメタ認知し、男性をステータスに関わらず「一人の人間として」パートナーに選ぶことをしないので、
勘のいい男は「男も男らしさから開放されてもいいよ」という言説を本能的に疑っているという囚人のジレンマ状態になっています。
つまり西洋哲学的な超人思想(本能を完全に御する理性)によって、上のような寡占状態を是正できれば、それは理念のある社会による思想的解決になるわけですが
昨今の社会ではそのような強い人間を量産して社会を良くするという構造が作れないことが分かったので、現行の婚姻制度を強化するしかないわけです。
そのために必要なのは「多くのメスを独占しうるオスが恋愛市場から退場してもらうこと」で
これを達成するために一夫一婦制が個人の自己決定権を超えて法として規定されている。というのが僕の理解です。
一夫一婦制には他にも合理性があって、
他の動物は本能的なフェアネス精神か、何故かオスとタイマンで決闘して負けたら潔く退場するという物分りの良さを持っています。
しかし、本能を理性でハックできるサピエンスはある種バグのような挙動を行うことが出来ます。
つまり、タイマンで勝てない恋愛競争に負けたオス同士が団結して独占オスを闇討ちorリンチして倒すことで物理的に恋愛市場から退場させることが出来てしまいます。
原初的な社会では物理的な手段ですが、高度に発展した社会でも経済的、物質的にモテる男を無力化する事ができてしまいます。
その排除にリソースが使われてしまうと遺伝子的にも社会的にもロスが大きいので、一夫一婦制で溜飲を下げているのが現状でしょう。
話が逸れましたが、要するに恋愛関係や性的関係における自己決定権に関する法律には「モテ資源の格差是正」という法理が存在するのではないかというのが重要な論点だと僕は感じています。
その観点から行くとお見合い制度はモテ資源のベーシックインカムと言えますし、逆にマッチングアプリはそのようなモテ資源格差是正の法律をすり抜ける「税を補足出来ない仮想通貨」のような側面を持ちます。
そこで未成年−成人の恋愛関係の話に戻すと
これは結婚した男女の収入別の棒グラフですが(年収◯◯のXが年収✕✕のYと結婚した)
男性側には自身の年収による相手の年収の相関は認められず、女性側は明確に自分よりも収入が高い男性を選んでいます(年収1000万ならそれ以上の男を望む)
女性の本能としては恋愛対象となる男性への評価は相対化されるということがわかります。
つまり、未成年−成人の恋愛関係を肯定した場合に起きるのは、未成年同士の恋愛に生態系の破壊のような影響を与えうるということです。
皆さんも学生の頃に経験があるのではないでしょうか、「こいつどう見ても同年代同士だったらチー牛扱いだろ」みたいなメガネを掛けてのっぺりした髪の運動出来なさそうなヒョロガリ教師が常に数人くらいの女子を囲い込んでるみたいな状況を
または「同年代の男は子供っぽいから無理」とか言って教師に求愛し続ける女子を
つまり「女は格上を好む」という本能がある以上、未成年−成人の恋愛関係を認めてしまうと未成年間のモテ資源の価格破壊が起きてしまいます。
したがって未成年同士のモテ資源格差是正の法理をもって「未成年淫行」が規定されていると僕は推察します。
未成年に性的合意能力がないということだけが法理ならば、未成年同士の性交渉も制限されるべきですが、そうなっていないのは
やはり未成年同士の恋愛市場を公正化する法理があると考えるのが自然かと。
このように、個別具体的に未成年者が理性を持って相手を選び成人と恋愛関係になるケースはミクロでは存在しそこは否定しませんが
やはりマクロ視点でみた時は、未成年同士の恋愛市場で価格破壊が起きるため、それは全体として良い結果をもたらさないので
この未成年同士の恋愛に起こりうる悪影響をどう評価するかじゃないですかね
僕はその影響は問題があると思うので「社会的には」認めないという態度を取って成人を格上として認識しないような環境づくりは必要かなと思います。
表面上は道義上悪としてのブランディングは継続しつつ、裏でこっそり恋仲になるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。