はなくそモグモグ

webサイト:http://kusonote.fool.jp

道徳とは、生産余剰に浮かぶ泡沫のようなものである。

成田悠輔の「集団自決」や、ルフィでおなじみの連続強盗事件、小さいので行くと寿司ペロ等の話題で盛り上がってますが、やはり議論の"レヴェル"は非常に低いですね。

最近の日本人(Z世代)のモラルはどうなってるんだ!みたいなね

刑法犯の認知件数はここ十年で最低を更新し続けているので、むしろZ世代が物心ついた時代が一番犯罪少ないんですよね。なので、論点にするなら過去最低を更新し続けていたのに22年で上昇転換したことを論点にするべきです。

ヤフコメとかTwitterにいるジジイやおっさんが若いときのほうが犯罪多かっただろと言っても彼らの中では自分の直感の周りを地球が回ってるのでレスバしても無駄ですね。

なぜヤフコメのジジイ、ツイフェミ、Twitterの人文系学者は少しデータに当たるだけで直感とズレがあるとわかることを検証しないのか。別に難しい統計処理を求められているわけじゃないのに。

 

まぁそんな話はどうでも良くて、

┃ファシズムは反道徳的思想だったのか?

《道徳》がトピックのレスバトルにおいて『ナチス』や『ファシズム』を反道徳的な存在の象徴として扱われ、どちらが先にそのレッテルを貼れるかという読み合いはしばしば発生します。

が、そもそも根本的に、ファシズムは反道徳的な思想なのでしょうか?

しばしば、ファシズムによる合理主義が"生きるに値しない命(Lebensunwertes Leben)"-いわゆる障害者-を殺戮したり、アーリア人を上位種族とする人種差別的思想がホロコースト-ユダヤ人の虐殺行為-を引き起こした。という理解から

先鋭化したナショナリズムの先はこうなる。といった論調が展開されがちです。

しかしながら、当時のナチス・ドイツはホロコーストを行った収容所を爆破して証拠隠滅を計っています。

これが何を意味するのでしょうか?

先鋭化したファシストが確信犯(正用法)的に虐殺を行ったのであれば、証拠隠滅を行うことは言動不一致な感じがありませんか?

「世界最高民族アーリア人が生きる価値のない人間を殺しただけですけど何か?」という態度でないといささか筋が通りません。

この感覚を理解するためには、当時の西洋の価値観を想像する必要があります。

まず、ナチスドイツに限らずユダヤ人は当時のヨーロッパ全体で被差別民でした。また知的障害者に対しても「神の教えを理解できない者」として差別されていました。

つまりナチスの掲げる「世界最高民族アーリア人種以外は・・・」の文脈はないにせよ、ユダヤ人や障害者を迫害するという結論は同じなわけです。

この中でナチス・ドイツだけが虐殺という《ライン超え》を冒したのは、ファシズムという思想に由来するものなのでしょうか?

ということを我々は掘り下げて考えていく必要があると思います。

 

ナチスが虐殺行為に踏み切った答えは「コスト」です。

 

虐殺政策を決定したヴァンゼー会議では、ユダヤ人を国外に追放する輸送コストやそれまでにかかる食料コストを削減することを目的の一つとして提案されています。

つまり、統治をローコストにするためのホロコーストだったわけです。

 

これが何を意味するのか?

先鋭化した思想が排除を生むというのは本質ではないということです。

生産力を失った国家が排除を生むのです。

 

┃ストックのない社会が排除をもたらす

そもそも人類が狩猟採集から定住生活にいたった契機として「貯蔵」という概念を獲得したのが大きな要因となります。

貯蔵があるために狩猟の能力が低い子供や老人を部族の中で生かすことができ、また一人あたりのエネルギー消費量が上がったため(原始的な戦争においては一人当たりの食料消費とほぼイコール)戦争にも強くなりました。

戦士の栄養状態が良いだけで戦局に大きく影響を与えるので、食料のストックはすなわち人口の増加を意味し、またストックの差によって他部族(またはポリス)を駆逐することができるのです。

つまり※ストックは戦争に勝てるという文脈で国力の裏付けになるわけです。

ストラテジーゲームなどをやっていれば食料がそのまま人口と戦力に直結するのは直感的に理解できるかなと思います。

 

※Twitterでは生産者余剰、余剰生産、(生産)余剰バッファなどの言葉が使われていたような気がしたが、1つ目は経済学用語だから使いたくないし他も微妙なので「ストック」という言葉を使うことにした。現在の人口を維持するのに必要な生産量を超えた分を指すということにしてください。

 

そして愛国心という幻想によって不屈の軍隊を作るために「国家」というものが出来ました。

この頃には化石燃料によって一人あたりのエネルギー消費が跳ね上がっていたので、単純に栄養価の高い戦士が戦果を上げられるというわけではなく、ストックは技術やイデオロギーという形に変換されていきました。

つまりストックは形を変えて、しかし最終的には戦争に勝つという裏付けの中で国力を担保していました。

 

しかし、原子力によって生成するエネルギーはその臨界を超えてしまいます。

もはや人口やストックを「国力の差」と言う形で戦争に反映することができなくなりました。

原子爆弾や水素爆弾一つの戦術影響力のほうが圧倒的だからです。

戦争の時代が終わると、というか戦争ではどの国でも勝ちうる時代になるとと言ったほうが正確かもしれません。その現代では、イデオロギーが重要になってくるわけです。

つまり、どの国にお前は住みたいか?どんな社会を選択していきたいのか?という思想的価値に裏付けられた国家という形をとるのです。

具体的に言えば、良心を失い核兵器を使えば社会主義国家が戦争に勝つこともあるだろう、しかしお前の国が社会主義になってもいいのか?

というイデオロギーを世界の国民に問います。

 

ここで本題に入るわけですが、資本主義国家が社会主義国よりも優れた国である。

というイデオロギーの論拠として第二次世界大戦以降を契機に社会福祉は発達していくわけです。

資本主義は生産性を追求する側面があるので「ストック」を生み出しやすい構造になっています。そのストックによって高齢者や障害者といった生産性の低い属性を包摂することで国力を示します。

スポーツやオリンピックが国家間の代理戦争の文脈を持つ。というのも戦争が使えないこの時代にストックの差を見せつけているといえば理解しやすいのではないでしょうか。

つまり他国より優れている守りがいのある国という大義を育てるために、ストックを使い社会福祉を充実させていくわけです。

それによって文化や学問が発達していくわけですが、忘れてはならないのはこれらの大前提としてストックの中でしかこれらは成立し得ないという事実です。

 

当たり前ですが、人口を維持するための生産力の余りがストックとして社会福祉や公共事業に反映されるのであって。この余りがないときには生産性の低い存在は真っ先に淘汰されてしまうということです。上記のナチスがその典型例だと思います。

つまり、道徳が無い~だとか社会福祉の意識が~とか言ってる時点で論外なんですよ。

この国に「ストック」が失われつつあるということを最優先で問題視すべきなんです。

ストックがないのに道徳を語っても意味がないんですよ、その道徳を貫徹するだけの底力がないんだから。

 

┃Twitterやってる人文系学者はバカ

もう消されてしまったので貼り付けることが出来ないのですが

人文学系の大学教授が「文化や社会福祉を尊重するからこそ良い社会が生まれるのですよ」的なことをツイートしてたのですが、反吐が出ますね。

実態は逆なんです。

良い社会だからこそ文化や社会福祉を尊重する余裕(ストック)が生まれているのですよ。

Twitterで禄に仮説検証もしない「感想」を大学教授等の肩書で泊をつけて発信してる奴らを僕は社会悪だと思っています。

きちんとした仮説検証や統計処理を行うから学者という権威を与えられてるのであって、学者という権威を利用してただの妄言に影響力を与えようとするのってただの貴族ですよね。

権力で俺は服を着てるんだ!って周りに言わせてる裸の王様と何が違うんですかという話ですよ。

そういう意味で僕は人文系学者ツイッタラーは白痴と大差ないと思っているんですが、こういうトピックでも白痴らしくストックの中に存在している分際で「人文学(実学との対比概念として)を大切にしないと社会は終わる!」と喚いてるコメントばかりで頭が痛くなりますね^^;

 

いいですか、ストックのことを考えなければ人はいくらでも善人になれるんです。

口を開けていれば勝手に食べ物が入ってくる特権階級の人間が、盗みをしないと今日食べるものもない貧民に対して「人の物を盗むなんてとんでもない!」と道徳を説くようなものです。

 

ストックが無くなるにつれて社会の段階としてこの手の道徳を説く人間は排除されていくフェーズに移行します。

アメリカではトランピストを中心として反エリート主義や反知性主義が流行っています。

トランプ「バイデンが大統領になったら学者の言う事聞き始めるぞ!」

いや、いいだろ。

これがトランプの演説でパンチラインとして成立しているのが意味わからなさすぎて笑っちゃって、当時は「こいつらなんでこんなにバカなんだろう」と思っていました。

しかし、これまでの話を踏まえれば自ずと話は理解できるはずです。

まずトランピストには労働者階級(しかも一次産業、二次産業の)がほとんどです、つまり「ストックを作っている側」です。

これで雇用も経済も安定してストックが作れている状態なら良かったのですが、経済の悪化やDX化にともなって彼らは職を失っていくと

「ストックを作っている側が失職しているのに、そのストックで生活している学者や公務員はなぜ職を追われないのか?」

「ストックを作っている側は税金という形で学者に還元している、しかし彼らはその知識を使って俺たちに何か還元したのか?」

「学者の知性がもたらすDX化や技術の発達によって、むしろ俺たちは職を奪われるじゃないか」

となるわけです。

STEM教育に関わるような学者はストックを生み出す人材を再生産する形で一次生産者へ還元されるわけですが、問題は社会学者や経済学者を始めとした人文系学者です。

これに対して人文系学者はこう反論します

「学問は何が役に立つのかわからないのだから、リソースの集中させたいところは集中するけども、将来性の不明な基礎研究や文化系の学問の保護も国力の維持に必要不可欠なのだ」と

僕はこれに関しては"一般的に"正しいと思います。

プリオンの基礎研究例などから象徴されるように、役に立つ役に立たないの尺度で学問を語ること自体がナンセンスだと思います。

しかし、ストックの中でしか存在できない生産性のない属性が、ストックが無くなりつつある社会という条件下において自分の権益を守るための論理として用いるとどうなるか?という視点で考える必要があると思います。

日本でもいずれ、トランピストのような反エリート的なうねりが生じると思います。

そして白痴な人文系学者は「なんということだ!勉強をサボった怠惰な日本人がアホになってしまった!」などと騒ぎ立てることが目に見えていますが

本質は、日本にストックが無くなりつつあることにあるので、いつまでも低次元な正論めいたものを喚き散らすのをやめて「いかにストックを生む社会にするか」という建設的な議論ができるステージまで上がってもらいたいですね。ストックの中でしか存在できない穀潰しなんだから。

彼らが自分の権益を脅かされたときの鳴き声として「ポルポトだ!」「文化大革命だ!」などと鳴きますが、これらに国民が同調したのも「ストックを生む側」の労働者階級の国民感情が反映されていたというのも背景の一つとしてあると思います。

 

┃ストックを生み出さないTwitter社員

集団としてとして現状を維持するために100の生産量が必要だったとします(単位は何でもいい)

5人で各20ずつ生産していれば、現状維持で何も起きません。

では1人あたり25生産していれば、合計で125です。その集団を維持するためには4人で成立するわけです。

すると残りの1人に"枠"ができ、稼得能力の低い属性がそのポストに就くことが出来ます。それは障害者かもしれないし、天下り的な既得権益かもしれません。

その残りの1人の生産量が10だろうが5だろうが問題になりません。残りの4人が100生み出すからです。

しかし、環境による変化によりストックを生み出す能力が下がった場合どうなるでしょうか。

4人で80しか生産出来ない場合、まず集団の維持ができないので残りの1人を切るということは当然に起こります。

 

これらは会社経営にも同じことが言えます。Twitter社員の大量解雇がそうです。

アメリカのジャーナリストが「ルンペン・ブルジョワジー」と名付け、彼らのような社員を本質的には強請り屋と変わらないと批判しています。

彼らはSTEM人材(Science、Technology、Engineering、Mathematicsの教育を受けた人材)ではないので、ストックを生む底力を持ちません。

しかし、人文系の学問によって得た道徳資本(Moral Capital)を振りかざして、ストックの中に自分のポストを生み出します。

しかしTwitterのような万年赤字の企業ではそもそもストックが存在しないので、経営を見直したときにバグのような歪として存在していたルンペンブルジョワジーは当たり前のように解雇されてしまいます。

 

 

┃このままではポリコレ排除のバックラッシュが起きる

Redditなどの掲示板で英語圏のアンフェ(アンチフェミニスト)話題で度々貼られる風刺画です。

アメリカでも日本と同じようにSTEM教育の男女格差が問題視されています。

しかし理系の工学部にチェックシャツのチー牛しかいないのは、別に男が談合を組んで女を排除するような権力構造があるからでしょうか?

もちろんそんなことはありません。

STEM教育の門は常に開かれているのに、なぜか女はジェンダーを専攻しフェミ戦士となり「女のSTEM格差(STEM gap)をなんとかしろ!」と社会運動し始める。という風刺が上の画像になります。

 

こういったフェミニズムやポリコレはまさにストックの中にしか存在できない思想と言えるでしょう。

つまりストックが失われた社会においては真っ先に排除されるわけです。

椅子が余っていたからその席が与えられたに過ぎず、椅子が足りなくなると真っ先に取り上げられてしまうわけです。

 

アメリカでもこのポリコレへのバックラッシュが見えつつある気がします。その兆候としてキャンセルを騒いでもなかなか成立しなくなってきています。

ストックがあったからこそ、生産力の高い人間から席を奪う運動もある種余裕として成立していたが、その席を取り上げることで組織を維持できなくなってくる状態になると、いちいちキャンセルに応じている暇もなくなるわけです。

 

僕が常々思うのは、社会的な正義を掲げるなら、なぜストックを生む能力(STEM)を獲得しようとしないのか。ということです。

例えば最近のイギリスではインド人のリシ・スナクが大統領になりましたが、これは歴史的背景を考えると面白く、約70年前にはインドはイギリスの植民地でした。

つまり、インド人がイギリスの高等教育を受け、イギリスでストックを生み出す人材になっていくことで、逆にイギリスが実質的に植民地のような状態になったわけです。

このようにストックを生み出す人材になった集団を排除するのは難しくなります。それこそナチス的な強権を持った民族浄化思想組織が実権を握らない限り不可能と言えるでしょう。

しかし、ナチスは投票によって権力を得ましたが、スナク大統領も投票によって選ばれているのです。

このように他人の生み出したストックに寄生すると、社会の生産力が脅かされときに真っ先に排除の対象として指を指されてしまいますが、自分がそのコミュニティにおいてストックを生み出す存在になると、排除できなくなります。コミュニティ維持の基幹となっているからです。

つまり、恒久的に自分の社会正義を達成したいのであれば、ストックを生み出す能力を備えておくことは必要不可欠です。

ですがルンペンブルジョワジーと呼ばれる社会正義を掲げてポストを獲得し、ストックを生み出すことに貢献しないブルシットジョブを生み出し続ける存在は、なぜ自分自身がストックを生み出す人材にならないのか

 

僕は彼らがストックに寄生するための特権が欲しいのであって根源的に社会正義を達成したいと思っていないのだと断言できます。

最近の社会ではそれがバレつつあるので、ポリコレに対するバックラッシュが起きているのだと思いますね。

 

┃日本がストックを生む国家となるためには

では現状を冷笑するだけで、お前はストックを生み出すための建設的な議論ができるのか?と思われてそうなので、最後に述べたいと思います。

ちょっと法律いじるだけで効果ありそうなのは2つあると思います。

①同性婚合法化

②性器へのモザイクの撤廃(刑法175条の廃止)

 

①同性婚の合法化について「生産性がない」と訳の分からないことを抜かしてる政治家がいましたが、生産性とは経済学で「投入量に対する生産量の割合」なので、これを子供いくら産めるかみたいな意味で使ってる時点で中学の公民レベルの知識もない馬鹿がまつりごとやってるってバレバレなんですが、それはおいておいて

Economic analysis of same-sex marriage - PubMed (nih.gov)

ヨーロッパでデータ分析した結果、同性婚カップルのほうが異性婚のそれより収入や教育レベルが高いという結果が出ています。

ポイントは彼ら彼女らが結婚できなかった場合に稼得能力に損失が生じているという優位性が明らかになったことです。僕的にはゲイ>ヘテロ>レズの順番で稼得能力に差があると直感的に思っていたのですが、レズカップルも十分に馬力を出している点に驚きました。

つまり同性婚カップルは「ストックを生み出す力」が従来の異性婚カップルより高いので子供生めるかみたいなのを論点にしてる時点で、同性婚を合法化すべきです。

なぜなら、彼彼女らが生み出したストックによって子供への福祉を充実させることができるためです。

 

②刑法175条の廃止、他でまともに外貨を稼ぐ産業を生み出せないのであれば、こいつさっさと撤廃するべきです。

モザイク付きという大きなハンデがありながら性コンテンツがこれだけ海外にシェアされているのはポテンシャルを感じざるを得ません。

しかし、その多くは違法アップロードにより海外に搾取され、モザイクをかける工程を中国や東南アジアにアウトソージングしているせいで無修正版が勝手にネットに流れるということの経済損失をもう一度よく考えるべきです。

無修正を合法化した瞬間、今までの作品のマスターテープを引っ張り出すだけでほぼ無尽蔵のリマスター版を再販できます。

制作コストほぼゼロで、過去のコンテンツを市場価値のある形で再販できるわけです。

この圧倒的コストパフォーマンスを「生産性」と言わずしてなんと呼ぶのでしょうか?

 

人口が増えればストックも増えるといういつまで近代やってんだという化石みたいな発想はやめて、ライセンシー産業が石油除いて時価総額上4つを締めている現実を直視すべきです。

 

これらを「社会が壊れる」だと「道徳的に」と言って難色を示している人間はもう一度よく考えてください。

そのような”道徳”はストックに浮かぶ泡沫のようなものです。

ストックを生み出す力のない弱者は、ストックを生み出すことをまず最優先に論点とすべきです。

弱者はそのストックの中の少ない席を取り合っているのだから。