最近はオンラインを軸とした対戦ゲームがすごくメジャーになっていますが、必ず話題に上がるのがプレイアブルキャラクターのバランス問題ですね。
1つのキャラが頭抜けて強かったり、特定のキャラ群が試合にならないほど弱いと運営が叩かれて、それに運営もサービスとして長く続けていくためにナーフ(弱体化)やバフ(強化)するアップデートを繰り返してといった感じでキャラクターバランスを調整していきます。
その中で、皆の中で暗黙の了解として不文律となっているのが「キャラクターバランスがいいゲームは素晴らしい神ゲーである」「運営はそれを目指すべきだ」という主張。
しかし僕は「キャラクターバランスがある程度悪いほうがゲーム性は保たれている」と逆のポジションを持っています。
「まーたこいつの逆張りが始まったよ・・・」と思ったかもしれませんが、僕は世間の風潮と自分の考えが違ってるなというのを記事にしているので自然と逆張りが多く見えてしまうんですね。
前提としてキャラクターバランスがいいことはいいこと
「おい、さっきと言ってることが逆じゃねぇか」と思った方もいるかも知れません。
しかし、前提としてキャラクターバランスがいいことはもちろん大切だし、それは神ゲーの十分条件であることは間違いなく疑いの余地はないでしょう。
しかし、「それを目指すべきか」という部分が大切だと思っています。
つまり「神ゲーなのでキャラクターバランスがいい」は成り立ちますが、「キャラクターバランスがいいから神ゲーである」は成り立たないのではないか?というのが本記事の問題提起に当たる部分です。
例えば皆さんご存知、「じゃんけん」というゲームがあります。
このゲームにはグー、チョキ、パーという3つのキャラクターがいて、しかもキャラクターの性能差(キャラ差)がないんですよ。
ですが、じゃんけんは神ゲーか?
まぁ神ゲーの定義にもよるんですが、(皆に知られている、知名度が神ゲーの指標になるならじゃんけんは世界トップクラスの神ゲーになりますが)ゲーム性は低く、どちらかというとクソゲーの部類に入るのではないでしょうか?
対して小学生の頃流行った謎のゲーム「パンパンビーム」があります
このゲームもじゃんけんと似た、同時に手を出してその局面によって勝敗が決まるゲームです。
ただ、少しプレイしてわかるように明らかに1つの手(かめはめ波)が強いです。
しかし、キャラ差があったとしてもそれがゲーム性を損ねることはなく、むしろじゃんけんよりも暇が潰せるゲームになっています。
このキャラ差があったほうがゲームが面白くなるケースが存在するのはなぜか?というところを深堀りしていきたいと思います。
神ゲーとは何か?
僕は対人ゲーム総じてクソゲー理論を提唱する異端者なのですが、今回はそのポジションから離れて、中立に良いゲームを定義していきたい思います。(中立にとか言ってるけど結局主観であるが)
この記事ではゲームデザインの話なのでグラフィックだのUIだのの話は置いておきます。
対戦ゲームとして優れているものは何か?
これは僕の個人的な定義ですが
・技術介入度が高い(競技性がある)
・攻撃の受け手側に入力反映の余地はあるか
・知識が勝敗に左右しない
・センスがあれば経験が無くても勝てる
・可能性を感じるか
・技術介入度が高い(競技性がある)
これが僕の中では一番大きい要因です。
じゃんけんがクソゲーなのは、そこに技術介入がないから。というのが結論としてあります。
技術介入がないのでじゃんけん歴10年の人と、初めてじゃんけんをする人に実力差が出にくいと、大人と子供がやっても勝率は五分近くなってしまう。
逆にじゃんけんにプレイヤー同士の勝率がどの組み合わせでも5分になる性質を求められて採用される事が多いので、クソゲーだからといって存在価値がないわけではありません。
プレイすればするほど勝率が上がっていき、初心者との差が開いていくかどうか、というのが指標になるかと思います。
・攻撃の受け手側に入力反映の余地はあるか
ただ、技術介入度が高いからと言って、手放しで神ゲーとは限りません。
格ゲーで例えると、10割コンボと言われる存在。いわゆる即死コンボですね。
格闘ゲームはお互いのキャラクターをコントローラーで操作して、ジャンプする、ガードする、攻撃するといったコマンドをリアルタイムで入力して、相手のHPを削ってゼロにしたほうが勝ちというシンプルなものです。
ですが、それぞれの行動には後隙というものが存在し、入力してから次の入力が反映されるまで、1秒以下なことがほとんどですが僅かなインターバルが存在します。
それは攻撃を受けたときにも発生して、殴られてよろけたり、吹っ飛んだり、ダウンしたりして体制を立て直すまでプレイヤーの入力が効かないわずかな時間が存在します。
大抵の場合、攻撃が当てた側が次の入力を受け付けるまでのインターバルのほうが、攻撃を受けた側が次に入力を反映するまでのインターバルより短いです。
つまり、相手がやられて動けないでいる間に次の技を叩き込むことができます。
これをコンボというのですが、これは相手の技があたったことを確認してから次の技を即座に判断して正確に入力する操作精度が求められます、もしミスると外した攻撃の後隙を相手に晒すことになります。
そこで、バランス調整が甘い格闘ゲームだとHPが満タンの状態からゲームセットまで、ひたすらコンボをつなげる即死コンボと呼ばれるコンボが存在します。
大抵の場合ゲーム設計者が意図してないテクニックや発想から来るものなので、その入力は難しい事が多く、即死コンボを決めるには相当な努力が必要になります。
即死コンボには「技術介入」があり、プレイヤーに可能性やモチベーションを与える要素ではありますが、これはゲーム性を著しく損ねます。
即死コンボを食らっている間、相手はコントローラーの入力が一切反映されないからです。
コンボ始動技がヒットした瞬間から、相手はコントローラーの入力が反映されること無くゲームは終了し負けたという結果だけが残ります。
攻め手側の技術介入を尊重した結果、受け手側の技術介入を一切尊重しないゲーム性になってしまったのです。
これは格ゲーだけでなく、カードゲームでも起こります。
カードゲームはターン制がほとんどで、相手のターン中に自分が何かアクションを起こせるケースは少ないです。その結果、自分のターン中にひたすらシナジーの強いカードを使用しコンボすることで延々と自分のターンが終わらないといったことが起きます。
自分のカードの効果が連鎖的に発動しているのをただ相手は眺めているだけという事が起きてしまいます。
このように、攻め手側が練習した高い技術によって相手にダメージを与えますが、相手にそれを防ぐ手段がないと、ただ強いやつが技術を見せびらかしてるだけのゲーム性になってしまいます。
・知識が勝敗に左右しない
始めに行っておくとこれを完全にゼロにすることはできないと思いますね。どんなゲームも論理的な部分を突き詰めていくと評価値の高い手というものが存在しますから。
スマブラDXでは着地キャンセル(いわゆる着キャン)というものが存在し、空中攻撃を出した後に着地するまでのあるタイミングで一定の入力をするとその空中攻撃の着地隙を減少させる事ができるというテクニック。
これも技術介入がある要素ですが、これをお互いに使うことでは盤面の状況は変わらず、使えないやつがいると勝敗に差がついてしまうという要素です。
用は知っていることが前提で知っていないと不利になる要素。
これは初心者の参入障壁を高くしているだけなのでいらない要素だと思いますね。
将棋で2五歩▲に対して3二金△とか(初手8六歩▲のほうが例として適切か)、チェスのフールズメイトとか。
知っていても状況は変わらないが、知らないと大きく損をする初見殺しのような要素はゲームの寿命そのものを縮める結果になると思いますね。
・センスがあれば経験が無くても勝てる
最近のゲーム業界でFPSが人気なのもこれに帰結すると思いますね。
フォートナイトのように一部専門的な知識や技術が求められる要素があるものの、マウスでエイム(照準)を合わせて敵を撃ったりだとか、撃ち合いに有利な位置取りをする立ち回りなど、他のFPSをやったとしてもその上手さは潰しが効きますよね。
このようにそのゲームで求められる技術や思考を別のもので養っていたときに、そのゲームの上手さとして反映するかどうかという話です。
ポーカーがめちゃくちゃ強くて騙し合いやブラフのうまい人が、騙し合いが求められるボードゲームでも強ければ、そのボードゲームはいいゲームなわけで。
騙し合いが求められるコンセプトであるはずなのに、ポーカーのプロがプレイしても初見殺し要素が多すぎて全く勝てない。となるとそのゲーム性に欠陥があるわけです。
・可能性を感じるか
これはゲームの寿命に関わる要素だと思いますね。
どのゲームでも「一定の勝ちパターン」のようなものが確立してしまえば、後はその状況に持っていくための擦り合いが起きてしまいます。
例えば先の例と同じように即死コンボの話をすると
格闘ゲームにはあらゆる攻撃技が存在しますが、即死コンボが存在すると、そのコンボの始動技以外の評価は下がってしまいます。
極端な話、それ以外の技を出す意義が存在しなくなると、始動技だけをひたすら当たるまで振り続けるキャラクターになってしまいます。
それは他の技からの展開や立ち回りの可能性を排除してしまった、ゲームとしての可能性を著しく損なうものだと思います。
僕個人的な意見ですがこれらの要素を満たすゲームは神ゲーだと思っています。
具体的にどのゲームが神ゲーでどのゲームがクソゲーかという話ではないので、名前を上げたゲームに関して何か解釈するのはやめてください。僕が引用したのはあくまで"要素"のみです。
本題のキャラクター調整の話
僕はスマブラSPの世界大会など、競技シーンを去年から見始めていて、プレイするよりも動画を見ている方が多いほどです。(なかばスポーツ観戦のようなノリです)
ですがスポーツと違って、スマブラSPには定期的にキャラクター調整のアップデートが行われるわけです。
その基準として運営が示したのは、オンライン対戦の勝率によって性能の調整を決めているとのこと(だいぶ前にそんなこと言ってた気がするだけで、今ソース探しても見つからなかったのでもしかしたら言ってないかもしれない)
動画勢として思うのは実際には調整に関わっている人は結構オフラインの海外大会などの結果を参考にしてアップデートしてるなという印象。
この例は、あくまでキャラクター調整としてこういう例もありますよ。って話なので今から言う話がスマブラSPの運営を批判するものではないということを前置きして話します。
結論から言うと、このように対戦の結果や勝率などをベースにキャラクター調整することには反対です。
格闘ゲームの話でいくと、全キャラの勝率を5分近くすることは簡単なんですよ。
すべてのキャラに即死コンボが繋がるように技を調整すればいいわけで。
そうすれば即死コンボの始動技を先に当てられるかどうかの立ち回りや即死コンボを完走させられるかどうかで技術の差が出て技術介入度のあるゲーム性を保ちながら、キャラ差を埋めることができます。
しかし、そのゲームは面白いのか?という話になるわけですよ。
即死コンボという逆転要素と技術介入要素がゲーム性に不確定性を与える(不確定性は原則面白い要素として認識される)代わりに、受け手側の技術介入と不確定性を著しく損なう結果になってしまっていると。
つまり何が言いたいかと言うと、即死コンボを実装するしないにしろ、すべてのキャラクターを一様に勝たせるといったキャラクター調整の先には、ゲームの持つそもそもコンセプトそのものを否定するゲーム性になってしまいがちであると。
もちろん理想論としては「ゲーム性を損なうことなく、すべてのキャラクターの勝率が横ばいになる調整」は理論値として存在すると思います。
しかし、現実問題としてこのような調整には上記のようなリスクが生じています。
格闘ゲームで行けば、展開や状況から見ている人が思いつきもしないアドリブコンボや立ち回りの独創性で有利状況を掴むプレイが見られると、それは観客のつく興行に成り得るし、そのゲームに対する可能性を見出すことができます。
しかし、運営が強い行動として実装したムーブや、弱いキャラを救済するために与えた、勝率に関わるような要素の付与によって、それを軸とした立ち回りが強いとされてしまうと、プレイヤーが独自に考えた戦法などが他人に評価されるというプレイヤーの研究に対する可能性を奪ってしまっています。
つまり、"キャラクターの性能差がある"ということはゲームコンセプトがしっかりしていることの現れでもあるわけです。
ゲームシステムを利用しやすい、ゲームシステムの恩恵を受けやすいキャラクターコンセプト、性能であるために強キャラになっている面もあるわけで、そこの格差を是正することはゲームシステムそのものの破壊に繋がる可能性をはらむわけです。
対して、弱いキャラというのも、ただ弱いだけでなくプレイヤーの開拓や研究が進んでいない可能性もあるわけで。
「100人中、1人が使うとトップクラスに強いが、他の人が使ってもパッとしない」
このようなキャラ性能であった場合、全体的な勝率を見れば明らかに低く試算され弱いキャラとして認定を受けます。
しかし、このキャラの存在はゲームの技術介入を可能性を与え、上級者しか使えないというレッテルは初心者の上達のモチベーションにもなるわけです。
このようなキャラを初心者でも使えるように調整するのは「初心者の参入障壁を下げる」という側面では意味のある調整なのかもしれませんが、ゲームの寿命を縮めている可能性が高いです。
その判断は難しいですね。