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対象の永続性とゲーム

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左の手のひらにコインを乗せる、左手にはコインがあるという状況だ。

その手のひらにあるコインの上に覆いかぶさるように右手を乗せる、手を揉みながらごますりをするような姿勢になる。

このとき、コインは右手に隠れて見えない。

さて、この右手の下にコインはあるのだろうか?

タネもしかけもないものとする。

 

これがマジックであれば右手を離した瞬間、左手の上にあったコインは消え、不思議だね~で話が終わるのだが、今回は本当にタネもしかけもないので、左手の上にはコインが乗っている。

 

なぜ、あなたは左手の上にコインが乗っていることがわかったのだろうか?

あなたがそれを判断した時、左手の上には右手が覆いかぶさっていて、コインが乗っているかどうかは目視できなかったはずだ。

ですが人には通常、これを判断する能力がある。

 

・左手の上にコインが乗っていた

・右手がその上に乗せられた時、コインの移動を確認しなかった

 

この2つの”過去の情報”から感覚では把握できない物事の事象を捉えることができる。

これを「対象の永続性」という。

通常、生後7~9ヶ月で獲得される。

なので赤ん坊は"いないないばぁ"に興味を示す。

対象の永続性がない赤ん坊にとって、手のひらで隠された顔は、そこに存在しないことになる。

そこで「ばぁ」という掛け声とともに現れる顔は、その赤ん坊にとってマジックなのである。

 

このように、成長した人間にとっては対象の永続性は当たり前のものとして認識できる概念ではあるが、逆に対象の永続性が存在しない世界を当たり前のように捉えている側面もある。

それはゲームである。

ゲームでは過去の事象を保持するのにメモリの空き領域を要求され、仮にそれが確保できたとしても、次の処理に移る際、過去の事象を参照するために量的な演算を要求される。

このような技術ハードルから、ゲームでは積極的に過去の事象は破棄され、ふるまう。

 

具体的には横スクロールアクションゲームを想定してもらいたい、画面内の敵モンスターは見えている通りの位置関係でそこに存在しているが、画面外のモンスターはどうだろうか。

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操作キャラが左側に動くことで、右側にいる敵が画面外に出てしまった。

対象の永続性があるものとして考えるならば、右側にいた敵は画面外の右端の障害物のすぐ後ろに配置されているはずだとわかる。

しかし実際には再び右に戻ってみると、障害物のすぐ後ろにいたはずの敵が存在しない(あるいは初期位置に戻っている)

 

また別の例では、オープンワールドのゲームで魔法を使用したために地面には大きなヒビと焼け跡のような魔法を使用した痕跡ができてしまった。ここでプレイヤーはマップ移動をし民家に入る。その民家からはその焼け跡は見えない。

対象の永続性があるものとして考えるならば、再びその魔法を使用した地点に戻ってみれば、その焼け跡は残っているはずである。

しかし、実際にはその部分ははじめから魔法を使った痕跡などなかったかのようにきれいな地面が残っている。

 

しかし、我々はそういうものだと受け止めている。

上記のアクションゲームの例で言えば、操作キャラをダッシュさせて右へ移動させ、画面外の敵はいなかったかのように予測してプレイする、そしてその敵が元々いたであろう初期位置を画面外越しに飛び越えるようにジャンプして避ける。

 

我々は対象の永続性という概念がありながら、それがない世界を平然と受け入れてプレイする柔軟さも持ち合わせている。

 

では生まれた時から栄養補給とゲームをするだけで育った人間に、果たして対象の永続性は育まれるのだろうか・・・?