はなくそモグモグ

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「弱き」は強気で強き盾に

最近、奉仕者が心得るべき「態度」を受け手が主張しすぎている気がする。

例を上げ、女性差別。

今も一部に根強い女性差別、それを撤廃しようと努力したのもわかるし

義務教育で触れた程度だが、扱いがひどかったのもわかる。

が、今の社会を見ていただきたい。

痴漢は明らかに被害者のほうが有利、被害者の言論次第で罪の有無がきまる上

女が男を強姦する、いわゆる逆レイプは強姦罪に適応されない

レディーファースト、レディースデイ、女性専用車両

あげたらきりがないほどの優遇

これははたして男女平等と言えるだろうか?

平等を主張する権利が、どうも今日では行きすぎている気がしてならない。

 

被差別者が不遇な過去を主張し、「弱さ」を盾にでかい顔をする、

 

同様に、お金の価値も変わってきている気がする。

例えば「サービス業」

コンビニバイトに対し、態度が悪い、敬語がなっていないなど

利便性を追求するサービス業であるコンビニエンスストア

もちろん人件費も削減しているはず。その分店員の接客には多少の不備があるのかもしれない

にもかかわらず、クレーマーなどが揚げ足を取るかのごとく、いちゃもんをつける

たかが時給1000円にも満たないアルバイト程度に、完璧な接客を求めようとする消費者たち、

日本に限ったことではない話なのかもしれないが、

人間は反撃されるリスクのない攻撃、を好む傾向にある。

つまりは「やりかえさないものに対する暴力」である。

サービス業の「お客様は神様である」という接客理念を利用し

「神様には殴らないだろう」と高をくくり、罵詈雑言をクレームと称してぶつける

 

いじめもその代表的な例である。

「いじめられっ子」つまりは「やりかえさないもの」

あるいは集団によって「やりかえされにくい」状況を作り

反撃されるリスクのないサンドバック状態で攻撃をする。

 

これがどうも最近では

法的な「弱きを助ける権利」を利用されているようでほかならない。

 

生活保護不正受給もそうだ、

働けない状態の「弱さ」を盾に養われる状態に甘んじている

 

いじめにしろ加害者側は「少年法」という「弱さ」を盾にしている傾向がある

「少年は守られるべき」という権利の乱用であるといえる

 

これがなぜ問題なのか

今回のテーマの核心に迫ります。

 

弱きを守るのは強き者である。

そういった風潮が少なからず日本にはあります

弱いものを守るために法的な権利があり法律があり義務がある。

しかし、弱い者はその待遇に甘んじているといっても過言ではない。

強すぎる権利というものは害にしかならない。

「強者は弱者を守る」といった考え方は、言い方を変えれば

「弱者は強者の足をひっぱる」ということなのです。

 

例えばテレビ、昔は性的なものや死をネタにするような過激な内容が

たくさんありました。

しかし、一部の気分を害した視聴者が受け手である立場を利用し

クレームを送り続けたたがために

今のテレビは無難な内容になり、新しい表現に挑戦しなくなりました。

最近ではメディアの発達により、「個人の声」が響きやすくなったのも有りますが

一部の弱者の主張が「表現の妨げ」になったということは否定できません。

 

同様に、今後のサービス業は新たな接客に挑戦せず

無難でシンプルなものになるでしょう。

場合によっては「弱者の主張」によって衰退する可能性もすくなからずあります

 

人権団体、愛護団体。権利を主張するものは全て

今後は表現者の敵になると言っても過言ではない。

 

弱さを主張する人間が、及びそれによって行われる待遇に甘んじてる人間が

強すぎる権利が、

今後の世界をダメにしていくのです。