はなくそモグモグ

webサイト:http://kusonote.fool.jp

無個性という個性

私は完璧なものに魅力を感じない

完璧なものには「補う」という楽しみがないからだ。

 

生物は一人で生きて行けないようにできている。

生物の最終目的は性交、つまり子孫を残すことである

しかし子孫を残すという行為自体、独自で行えるものではなく

オスとメスの二種が交配することを前提に設定されたものなのだ。

「子孫を残す」これのみに重点を置けば二匹必要という条件自体非合理的極まりなく、

なぜその重大な欠陥を進化によって改善されないのか。

それはただ増やすだけでは意味が無いということが自然の解だからである、必然的に遺伝的多様性が必要とされる構図になってしまっている。

とにかく一人では生きていくことができないのだ。

それは動物だけでなく植物にも当てはまる

おしべとめしべがあって初めて草木を増殖させる。

だけでなく植物単体では花粉を運ぶことができないのでミツバチなどの虫が

命の種を運ぶ、そしてハチはその蜜を吸い生きながらえることができる。

このように多数の生命が密接に係わり合い互いに搾取・供給し合って共存している

進化は個々の能力の高さを欲さず、不完全を受け入れている。

不完全の協調を自然のスタイルとして存在しているのだ。

その中に不完全を受け入れられず完璧だけを求める「人間」がいる

人間とは、知能という船で完全という島をめざす航海士。

島への航路はでたらめで、いつつくかもわからない淡い期待に全力で追いかけている

コンプレックスという荒波を豪快につきすすむおろかな海賊なのだ。

翼をもがれた鳥がいたとして、その鳥は飛べないことを恥じるだろうか?

歩行する楽しさを見つけているのかも知れないし、

翼がもげるほど飛び続けたのを自賛しているのかも知れない

あるいは、翼をもがれてなおいき続ける自分を誇っているのかもしれない

人間はどうだろう?翼をもがれるほどのアイデンティティの消失はしていないものの

他人と比べ自分で欠点を見つけ劣等感を抱いている。

他人より整っていない顔だと判断した際には整形し、無理やり自分を改造する。

そこまではいかないにしろ化粧したり自分の欠点を隠そうとする。

 

完璧にはなれないからせめて完璧に見せようとする

 

これが私にとって非常に滑稽なのだ

自分の欠点が受け入れられないがゆえに隠し、自分という個性をひねりつぶし

それをオシャレだと正当化する。

非常におろかだ。

そうやって欠点を無くしていき、欠点がなくなった

 

完璧になった先に何があるのか。

 

完璧とかすなわち「欠点がない」こと。

欠点がないということはそれを補う相手がいないということ。

力がないから筋肉を改造し増強する。

かわいくないから整形する。

計算が苦手だからコンピューターに頼る。

そうやって自分の欠点を否定しもみ消した先には

 

孤独しかない。

 

そうやって、自分のマイナスを受け入れられない人間よりも

自分の欠点をも自分だと誇れる人間のほうが

 

よっぽどきれいだ