はなくそモグモグ

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カリスマ2.0

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記事書く詐欺やめろという苦情が最近よく来るのですが・・・

実際のところ嘘ではなく本当書いているのですよ。

しかしながら、僕の頭の中にある構成を文章化するのを途中で中断しているうちに旬が過ぎてタイミングを逃してしまったものや、主張の根拠となるエビデンスを探すのが難しいもの、あと文章におかしなところがないかチェック(基本的に上から下に流れるように書きなぐるので語尾が重複したりしがち)するのが面倒で中断しているものが多いんですよね。

僕は命題が面白そうなのに結論が微妙だったり、情報サイト風のくせに調査中だったり、中身のないブログが嫌いなんですよ。

その変なこだわりが、根拠となる一次ソースを探したり(英語読めないのに英文の論文を探すなど)1万文字まで語ったり(取捨選択は必要ですね)で更新頻度を無にしてしまていると

 

とはいえ最近はコロ助のおかげで可処分時間が多いので、そういった下書き落ちしている記事を掘り起こして公開するというのをやっていこうかなと思っています。

 

つまり何が言いたいかというと、文字数少なく、ソースを探さず、中途半端なまま、質を落として記事を量産するスタイルにシフトしていこうかなと。

 

 

この記事はリーダー2.0論に影響を受けていて、というかそれを知っていればほとんど読む必要のない似たような内容になっているため、下書きのまま放置していました。

 

リーダー2.0とは、落合陽一氏の著書やニュース番組でも度々言及されていた現代のリーダーシップのあり方の話で

「完璧超人のカリスマがその能力に裏付けられた自信と実績によって仲間を引っ張っていく」というステレオタイプなリーダー像を旧時代のリーダーシップ、リーダー1.0と定義した上で、現代に求められるリーダー2.0とは

「弱さ」
「意思決定の象徴と実務権限の象徴は別でいい」
「後継者ではなく後発を育てる」


落合陽一 日本再興戦略 より

 

といったボロが出ないリーダー1.0に対する特徴として、能力がなくてもいい。というか無いほうが良い。だけど自分や組織の行動について責任を取ったり矢面に立つ度胸はある存在であると。

リーダー1.0では優れた能力を持った指導者に「尊敬」や「憧れ」「崇拝」といった印象で部下がついていくイメージだが、リーダー2.0ではこの指導者を「放っておけない」「支えたい」「力を貸してやりたい」というモチベーションで部下はついてくる。

 

とまぁ詳しくは落合陽一氏の著書で確認してほしいのだが、僕はこれがインフルエンサーやタレント、ひいては創作作品のキャラクターの魅力にも当てはまると感じた。

それがカリスマ2.0論である。

 

一昔前の、いわゆるマス・マーケティング時代のテレビタレントにはいわゆるカリスマと呼ばれるタレントが多数存在した。

行き過ぎたケースでは「超能力が使える」ということを大真面目に視聴者に訴え始める荒唐無稽な番組も現れた。

テレビというメディアではその情報の一方向性ゆえに”カリスマ”を作ることが容易なのである。

どこから連れてきたのかもわからないちょっとおかしな人間をテレビに登場させ、何か一芸を行い共演者にオーバーリアクションを取らせる。共演者空間(ひな壇)に「すごい人」という空気感をつくることで、視聴者に「すごい人」という認識を与える。

やがてその「すごい人」は一芸の領域を超えてニュース番組や言論番組にも現れ、それっぽい持論を述べ共演者の反論を映さないことで視聴者に「すごい人は言論もイケる」とそのカリスマの神性を補強する。

 

これは、インターネットが普及していなかった時代にのみ成立する"手法"である。

カリスマの「すごそうな空気感」に疑問を与えるようなシーンは全てカットすることで視聴者に完璧な人間のような錯覚を与えるが、当然、物の分別がちゃんとしていれば「この人言ってることおかしくねぇ?」と疑問を抱く人は一定数いる。

しかし、インターネットが普及しない時代においてはこの「それっておかしくねぇ?」が一般的に共有されないので「すごい人」は分別が取れない人間に対して騙し続けることが可能なのである。

インターネットが普及した現代においても、しばしテレビはこの時代遅れな完璧超人商法を押し通そうとする。細木数子氏はマス時代最後のラストカリスマだと思っている。

 

これはアニメや漫画の創作作品でも成立した。

完璧超人的なカリスマ主人公が、登場人物の「こいつすげー奴」と読者の「こいつすげー奴」を稼ぎながら物語を展開していくものは80年~00年代に多く見られる。(日本のテレビドラマは未だにこの作りになっているので、視聴者ターゲットの年齢層が察せられる)

しかし、今読み返すと「それっておかしくねぇ?」にあふれている。

よくこれを「昔は多少ガバガバでも勢いで面白くしていた」という評価をする人が一定数いるが、「それっておかしくねぇ?」を共有する人がいなかった時代への思い出補正である。

 

ひるがえって現代、このような完璧超人商法を行うと

「誰もツッコまないけど言ってることめちゃくちゃやんけ」

「なんで今の映さなかった?」

「隠してるのバレバレやぞ」

的なツッコミが共有されてしまう。

マス時代においては10人中1人が気づくおかしな構造でも「それでも9人騙せるので勢いで押し切れる」という人気の作り方が成立していたのだが、ネット時代においては「10人中1人でも気づいたら、残りの9人に共有されて拡散されてしまう。」という一方向性メディアへの批判的な構造が生まれてしまった。

 

ましてや、共有されていなければ完璧超人商法を鵜呑みにする側だった人間が、共有され拡散されたボロの情報をトレースして、あたかも「バレバレですよ」という立場で「それっておかしくねぇ?」側に立つことができてしまうため、この旧時代の完璧超人商法、つまりカリスマ1.0的な人気商売は成立しない時代になっている。

 

マジックショーをマジックとして楽しむよりも、タネやトリックの解説のほうが注目を集めやすいの同じで、完璧超人に対して人は「何かトリックがあるはずだ」という監視の目を光らせる。というのが現代のコンテンツ消費の傾向なのだろう。

 

では現代社会においての人気商売の正解択とはなにか?という所で最初のリーダー2.0の話に戻ってくる。

ネット社会においての人気者は「弱さ」をアピールする。

自分の弱みを隠して完璧超人に見せるカリスマ1.0のやり方では、ツッコミが共有され、その神性を失う。したがって、カリスマ2.0では最初からその弱みを開示するところから始まる。

よく"YouTuberは人間性に問題があるやつが多い"と叩かれるが逆で、カリスマ2.0的には人間性に問題があったり経歴にツッコミどころがあるからこそ人気商売として成立するのである。

応用したケースでは、カリスマ1.0っぽく完璧超人を演じるが、誰の目から見ても明らかなツッコミどころを作り、それを突っ込む言論環境(YouTubeなら動画のコメント欄)を用意することで視聴者に突っ込ませることでカリスマ2.0を成立させるやり方も存在する。

 

創作環境においても、カリスマ1.0的な主人公のキャラクターデザインがされがちななろう系と呼ばれる作品も、その持ち上げ方のガバさを突っ込むことでカリスマ2.0が成立する。

あとはマス時代にはカリスマ1.0として描かれていたが、ネット時代において突っ込まれることで愛されキャラとしてカリスマ2.0が成立するケースもある(ナルトの大蛇丸HUNTER×HUNTERヒソカ名探偵コナンのジンなど)

 

ここで面白いケースはワンピースのルフィは最初から「おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!!」とカリスマ2.0としてデザインされている。(リーダー2.0の要素も満たしている)

これが1997年の作品だというのだから、相当時代を先取りしているといえる。

 

逆に、現代においてカリスマ1.0として人気商売をして失敗したケースでは、2017年にVALUで炎上した髪の毛の色が途中で変わってる系YouTuberがいる。

彼はカリスマ系YouTuberや職業カリスマを自称しているが、そのカリスマが意味するところはまさにカリスマ1.0である。

カリスマ1.0的な売り方をしてしまったために、多くの「突っ込みたい人」をアンチとして抱えてしまい、VALUの騒動で炎上してしまった。

これはアコギな金儲けをしたことよりも、カリスマ1.0的な人気商売によるヘイトコントールの難しさこそが炎上の本質だと僕は思っている。

 

ホリエモンは逆にメディアの側が「ボロを突っ込む側」になってしまったためにヘイトを溜めてしまった珍しいケースである。

彼が出所後すぐに出版した「ゼロ」という本はまさに自分の弱さをさらけ出すものであり、活動再開してすぐにカリスマ2.0的なセルフ・ブランディングに移行しているのが彼の活動の自己修正能力と行動力の高さが伺える。

 

このように現代社会でのセルフ・ブランディング、いわゆる人気取りや人気者には、それが計算によるものかに関わらず必ずこのカリスマ2.0的要素が取り込まれている。

 

では、ネット社会においてカリスマ1.0的な旧時代のブランディングは成立しえないのか。というと実はそうではない。

マス時代においてテレビがカリスマ1.0的な人気商売が行えたのは

・ツッコミ役がいない(情報の一方向性によってツッコミを遮断できた)

・視聴者全員に同じメッセージが通用した。

この2点によるものが大きい。

 

逆に言えばネット社会では、YouTuberとしてコメント欄を統制しても、Twitterに書かれる言論を封殺できないといったようにツッコミ役を制御しきれないこと。そして、視聴者の多様性によりセグメントが細分化されたために、つまり一人一人見ているコンテンツ、タイミング、ひいては広告すら違うように、同じメッセージを全員に伝えることが難しくなったことで、カリスマ1.0商法は成立しないのである。

 

逆に言えば、その2点をクリアすれば現代でもカリスマ1.0商法は成立する。

これはエコーチェンバー現象の影響を多く受ける。

つまり、SNSにおいてのブロック機能や鍵アカウント、そしてコンテンツ配信サイトの有料コンテンツなど。いわゆる閉じコン(閉じたコンテンツ)下ではカリスマ1.0的な完璧超人商法が成立するのである。

閉じコンであるがゆえに一般知名度がないため外部からのツッコミが発生せず、中にいる視聴者がブランディングの異常性に気づき異を唱えても、ブロック機能などを行使して言論空間から排除することでツッコミ役のいない人気商売が可能になる。

そしてその閉じコン下では細分化されたセグメントの1つとして、同じ方向性を持ったファンが集まるので同じメッセージによるマーケティングが成立する。

 

つまり現代の人気商売では、少数の大きな知名度を持ったカリスマ2.0と大多数の細分化された閉じコンであるカリスマ1.0が点在するようになる。

 

しかし、閉じたカリスマ1.0空間では集落によくある異質な文化のような、否定するツッコミ役がいないがゆえに生じる先鋭化された異常な文化が形成される。

やばいカルト宗教のように、本人たちは疑問に思っていないが、はたから見るとおかしなことをやっている集団が閉じたコンテンツとして一般知名度が得られないままその異常性が醸成されていく。

その空間の内通者か知る機会のあったものが、「こんなおかしなことやっとる集団がいるぞ」とツッコミ役として自由な言論空間に拡散すると、それは泡が弾けるように、不発弾に刺激を与えて爆発するように、炎上してしまうというリスクを抱える。

ゴルスタ騒動などはそのいい例だろう。

 

ネット社会である現代において、開かれた言論空間ではカリスマ2.0的な人気商売が正解択で一般認知度も高くなる。

そして、閉じられた言論空間では一般知名度は得られないが、マス時代のようなカリスマ1.0的な人気商売も可能になる。

しかし、そのカリスマ1.0的な人気商売が開かれた言論空間に晒されてしまうと炎上してしまう(イメージ的には爆発だけど)

 

 

なので閉じコンでカリスマをやっている人はカリスマ2.0的商法にシフトしたほうがいいよという話。