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アメリカンヒーローは食べ物を粗末にする

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日本とアメリカの創作に見る、正義観の違い。

 

 

日本とアメリカの創作に見る、フード観の違い。

日本の漫画、アニメカルチャーにはフード理論というものがある。

食べ物の扱いによってキャラクターのポジションを表現するという手法は昔から漠然と使われていて、福田リカさんという方がこの理論を言語化して体系化したというわけである。

その本の中にはフード三原則というものがあり

フード三原則

1.善人は、フードを美味しそうに食べる。
2.正体不明者は、フードを食べない。
3.悪人は、フードを粗末に扱う。

ワンピースはこの典型で、ルフィは食い物を美味しそうに頬張るので良い奴。敵キャラが食べ物を粗末に扱ってルフィがキレる。みたいなのは鉄板だろう。

他にも「自分より先に動物に食べ物を分け与える人は聖人キャラ」だったり「バカキャラは食べ物を喉につまらせる」など食べ物の扱いに注目してシナリオを読み解いている。

 

進撃の巨人の作者である諫山創はこのフード理論に影響されていると公言している。

作中に出てくる無垢の巨人は人を食べる。しかし、それが栄養補給となるとフード理論的には善人にカテゴライズされてしまう。逆に、粗末に食い捨てれば悪人と定義してしまうことになる。

ということから、"巨人は人を食べるが消化せずに後で吐き出す"というイビツな設定が生まれた。「2.正体不明者は、フードを食べない」ことを応用して、食べたけど後で吐き出す不可解な行動によって、得体のしれない存在であることを描写している。

 

 

天空の城ラピュタではシータとパズーが朝ごはんを食べる前に小鳥に餌をあげる描写があり、風の谷のナウシカではテト(キツネリス)に選別にもらった大切なものであるチコの実を食べさせる。(自分が食べる前に動物にご飯を与えるキャラは聖人理論)

 

といったように日本の創作作品では、食べ物の扱いでキャラクターそのものの印象を描写したり、食べ物を介してキャラクター間の関係性を表現する。というのが共通理解的に行われてきていて、読者側も無意識のうちに咀嚼し了解していた。

しかし、日本では既に体系化されているフード理論及びその創作は、アメリカの創作になると全く成立しなくなる

 

パッと思いついたのがRWBY Volume.2の第1話

悪と戦うハンターを育成する学校での出来事。

ヒーロー側であるはずのキャラクターが食べ物を粗末にしてフードファイトを行っている。

この例に限らず、洋画を見ていても家族や仲間が食事中に喧嘩をして、仲裁に入った誰かが食べ物の流れ弾をぶつけられるというのはよくあるシーンで想像に難くない。

といったように、シナリオでは「良いキャラ」として描かれているキャラクターが食べ物を粗末にするシーンはアメリカでは違和感なく受け入れられている。

 

この正義観のギャップはひとえに両国間の経済状況を反映している。

日本は今でこそGDP世界3位の経済大国であるが、そのマインドは戦時中~戦後のもったいない精神のままである(一人あたり名目GDPが25位なのも多少関係しているか)

つまり、物資の絶対量が少なく食料供給の足りていない時代の「(希少なものだから)食べ物を粗末にしてはいかんよ」という時代世相のまま今日に至るという背景からフード理論は生まれたと言える。

 

ちなみに余談ですが、"もったいない精神がある"というだけで本当に食べ物を粗末にしていないわけではありません。

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マネセツ118(山本)食料ロスを考える/図表①.jpg

引用:https://manesetsu.jp/1367

食料廃棄量のうち消費者を占める割合では日本はトップクラスの食料ロス国家なわけで・・・

ダイエットしてるから半分残すだの、写真撮って残りは捨てるだとか、作物が採れすぎるからと重機を潰したり、スーパーの売れ残りはすべてゴミ箱行きだったり(キリスト教圏だと廃棄される食料は教会に回り、ホームレスやストリートチルドレンなどの炊き出しに使われたりする。)

本質的に「食べ物を粗末にしない正義感」があるかと言われれば微妙なので、アメリカ人が食べ物を無駄遣いしている!という批判に持っていくのは、まず日本人が自制するところから始めなければいけないですね。

個人的には、動物が食うように自然に捨てればいいと思ってる派なので、僕は食べ物を粗末にすること自体に拒否感はないですね。

 

話を戻して、アメリカのフード観として、まずアメリカは土地が広大で大規模農業が可能であるから食料自給率が高い(カロリーベースで130%を超えている)

対して日本では領土の7割が山であることもありカロリーベースでの食料自給率はわずか38%しかない(生産額ベースの食料自給率を出さないのは経済効果ではなくフード理論的に食料がどれだけ食われているかに着目するため)

そして、アメリカは自国が戦地になっていないこともあり"物理的な物資の破壊"という概念が国民の中に存在しないこと、アメリカ国土に消費資本主義的価値観が根強くあること、そして輸出しても有り余る圧倒的な大量生産からなる、無駄遣いしてでも消費活動をすることが正義だという消費資本主義に基づいたフード観によって、アメリカンヒーローは食べ物を粗末にする。

 

つまり、フード三原則では「悪人は食べ物を粗末にする」と読者の中で無意識に共通理解されていた法則が、アメリカの創作では「ヒーローも食べ物を粗末にする」というギャップとして浮き上がってくる。

 

日本とアメリカの創作に見る恋愛観の違い

日本の創作作品でこんなキャラクターが現れた時、どんな印象を抱くだろうか?

 

・金持ちの息子である

・女をたくさん侍らしている

・本人はドヤ顔をしている

 

ジャパンアニメーションではおそらくいけ好かない悪役キャラとして描かれるだろう

紆余曲折を経てそのいけ好かない野郎をギャフンと言わせることで、読者にカタルシスを与える展開になるのが登場してから予測できるほどだ。

しかしながら、アメリカンコミックでのワンシーンを見て欲しい(実写だけど)

www.youtube.com

バットマンの主人公で、治安の悪い街ゴッサムシティから悪党を日夜やっつけているヒーローのブルース・ウェインの登場シーンである。

親から相続した資産で高級車を乗り回し、そこから女を二人連れながらパーティに現れる。日本の創作だと確実に「いけ好かないヤツ」の登場の仕方だ。

しかし、アメリカ人はこのブルース・ウェインに自己を投影し、憧れを抱く。

彼は資本主義的な価値観での勝者であり、正義だからだ。

 

ジャパニーズカートゥーンでは主人公的立場の人間がこのようないけ好かないやつにギャフンと言わせたあとに、受動的に女の子のハーレムを作りながら退場していく。

アメリカンカートゥーンでは陰キャラが陽キャの指導を受けて、女の子のデートの誘い方を教わり、それを実践するシーンがある(成功するかは別として)このように能動的に女の子のハーレムを作れるように立ち回っていく。

 

日本カルチャーでは、複数の異性に粉をかけるのは悪という立場をとりながらも、複数の異性の方から迫られてしまうのはしょうがないよねという自分の選択による責任を追わない形でハーレムを形成する(この表現だと批判的に見えるかもしれないが、夢を見せるのが創作の本質なので個人的には間違ってないと思う)

それを象徴するセリフ「やれやれ」

主人公は複数いる異性に対し「誰が好きか」という明確なポジションをとらず、時には相手の告白に対して突発性難聴を発症する。

このように徹底したリスク排除の中で、女の子との恋愛を享受する。

本質的な恋愛観として、他人の目を気にするというのがあるのかもしれない。

「この関係ははたから見てどうなんだろう」ということが根底にあるがゆえに、「お前Aが好きって言っておきながら、Bと楽しそうだな」と思われることを恐れていて、それ故に「AともBとも仲良くしてますけど、私はどっちが好きかとは言ってないので浮気ではないですよね?」みたいな余地を常に残している。

それは見合い文化を始めとした"結婚相手は第三者が選ぶ"歴史の中にあると考える。

見合い文化は鎌倉時代から1965年まで存在し(正確には恋愛結婚が見合い結婚を上回ったのが65年)百人一首の殆どを占める恋歌でも、相手との身分の違いで会えない人や、自分の愛が第三者に悟られない(または悟られる)ことを気にする歌が多い。

身分や家の意向によって結婚相手が決められていたこと、そしてそれを気にしながら生きる古来からの世相が反映されているのかもしれない。

 

対しアメリカンカルチャーでは、お前陰キャって自分で言ってたやんけ!という主人公がいきなり異性を口説き始める。徹底した自分主義による「俺はAが好きだ、でもBも好きだ」という自分のポジションを明示し積極的に口説きに行く。

アメリカにおいては恋愛する二人の中で独特の世界観が生まれる。回りの意見なんて知るかよと言わんばかりにロミオはジュリエットと恋愛するし、平気で職場の電話で痴話喧嘩を行う。

そのため日本人から見ると長期的に続いている洋ドラマなどで「こいつらがイチャイチャし始めてからつまらん」という感想が生まれることもしばしばある。

たとえ浮気になるとしても自分の気持ちやポジションを明確にし、周りに迷惑をかけることは厭わないがそれが視聴者にとってキャラクターの評価を下げる要因にはならない(とはいえ4chやRedditで叩かれていたりするけど)

この徹底した私達主義からなる恋愛観がどこから来たのかは正直アメリカに詳しくないのでわからないから書かない

 

 

日本では、恋愛描写において自分のポジションを明確にしない。自分に責任が発生しない形でハーレムを形成する

アメリカでは、浮気が成立するとしても正直に自分のポジションを明確にする、自分に責任が発生する形でハーレムを形成しようとする。

 

 

あとがき

といった日本とアメリカの創作の違いを7つくらい例示して記事にしたかったんだけど、僕が言うほど創作作品をいっぱい見てないことと、アメリカとアメコミそんなに詳しくないというので7つも項目が思いつかなかったし、アメリカがそういう描写を好む文化的背景の考察もできなかったから「これじゃあ"調査中ですブログ"と同じじゃねーか」という観点から下書きのまま放置していた記事です。

今後はこういう内容的に未完成な"割れたせんべい"を適当にしめて投稿するのでよろしく

あとがきでボツにした理由とかも書けたら良いがその記事を初めてアクセスする人からしたらなんのこっちゃだと思うから手短にしておく