はなくそモグモグ

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前期受かったら全裸逆立ち画像うpする

塾で過去問問いてた時に考えた話

「問8はなく」

 

「ここは捨て問だね。」

講師が言った、いつしか俺の友達も言っていただろう。

テストは言わずもながら時間が限られている、与えられた時間で答えを解く。

当然、ほぼすべての学生は100点を狙いに行こうなどとは思わない、

もっとも、問題を作る側もそうは絶対にさせない。

ゆえに、制限時間では絶対ではないが限りなく不可に近い”問い”が存在し、

他の問題を意識してそれをとかない、それを彼らは”捨て問”という。

大抵の人間はその問題を見るだけ見て、時間と実力に相談する。

そして”捨てる”、あるいはそもそも見ようともしない。

「はは、コレが捨て問か。」

見た瞬間に分かった、とてもわかりやすい、

そう思った、問8。

 

 

 

 

 

問8は泣いていた、

限りない孤独の上に自分の存在が成り立っていて、点数調整の為だけに生まれた

愛されることのない存在だと自分で気づいていたのだ。

その存在故に解答者に忌み嫌われ、途方も無いほどの中傷、罵詈雑言を受けていた。

問題は解かれる存在、

問題を解く解答者の喜びに満ちた顔を見るのを生きがいとしていた。

問1、問2、説かれるのが当たり前の存在。

一番、多くの者の笑顔を見てきたのだろう、

「簡単だよな」「あれは簡単」

「最初できなかったわ~」「それは終わってるぞwwww」

解けた者、解けなかった者。両者を笑顔にする人気者。

それを囲む笑顔を私は端で見ていた、

その笑顔が問8に向けられていないと知っていながら。

 問3、問4、問5。そこそこの難易度を誇るだろう

理解できないものできるものに分かれ

できるものができないものに教える構図は微笑ましく

当事者にとっても交友を深めるきっかけになるだろう。

そんな存在を私は端で夢見た。

問6、問7。出来るものは少数派であろう存在。

出来るものは優越感に浸り、その功績をひけらかすために高々と解説する。

手に届く難しさなので、その問題に挑む者は割りと少なくない。

そして問8、なかったもの

語られることすら許されない存在、わからないので解かない

解かないことが常識化しているのでだれも語らない、

挑戦しないからわからないそのまま忘れられていく

そもそも覚えられたのかすらわからない

それが

わたし。

 

問8は鳴く

しかし、わたしは主張できない。

喋る手段も、自らで人生を終えることすらもできない非力な存在だった。

自分にできることといえば、ただ問題に混ぜられ、正解者の顔を見ることもできず

そこに問題として、存在するだけ。

過去問に数年収録された後、存在すらも忘れられる。

そして廃棄され、時代の流れとともに完全に消え失せる。

それは一般的にいう死ではあるが

私にとって”誰にも注目されないこと”のほうが、死を意味していた。

その上でわたしは、生まれながらにして死んでいたのだ。

そこに問8は亡く、ただの文字の塊と化していた

 

わたしはなぜ生きているのかわからなかった。

問題は解かれるために存在している、

解答者の実力を図るため、解答者の経験を積ませるため。

しかし私はそのどちらでもない。

私には測定としての役割、経験値としての義務すらも果たせなかった。

私の問題以上に私の存在がわからなかった。

問8は哭く

 

問題(わたし)に苦しむ解答者、そして

問題(わたし)に苦しむ回答者(わたし)

 

そんな自問自答が続く毎日の中で、

廃棄という刻限を待ち続けた、

いてもいないのと同じなら、早くいなくなりたい。

試験に使われた時の若かりし頃のわたしはすでに過去のものだった。

 

試験に使われた日、

私はこの世に生まれた、問題群の最後に載せられ、

問1、問2と解いて行く受験生の苦悩を見守りながら、私の解答を待ち望んだ。

問6、問7まで解いた、次はわたしだ。

しかし私の視界に受験生は消えた。

私の目に覆いかぶさる紙、受験生はページをめくった。

そう、

 

 

私はとばされた。

 

最初は理解できなかった、きっと後で解くのだろう、要領のいい解答者だ

などと思っていた。

しかし再びわたしはその受験生を見ることはなかった。

問8は啼く、受験生はすでに退室しているというのに。

 

その後、試験が終わり一年の歳月を経て、最新の過去問が出版された。

そこに私は載っていた、まぁ載せるのはあたりまえなのだが。

解答にはしっかりと解説が描かれていた。

こんなにもわたしをさらけ出されるのはかなり恥ずかしかった。

そんな動悸を嘲り笑うように

解説ページは綺麗だった。

1ページ丸々解説を丁寧に書かれたが、誰一人としてそのページをめくろうとはしなかった。

問題群に問8は無く、いや、なきものにされた。

 

そして歳月が過ぎ、

過去問の最後の年となった。

それは5年までしか収録しないため、6年以前の問題を手に入れるのは困難を極める。

それが事実上の死だ。

 

私は一切を諦め、刻限に身を委ねた。

亡くなることを無くなったものが待ちのぞむ。

そんな私に語りかける一人の存在。

「はは、コレが捨て問か。」

受験生、どうやらそのようだ。しかし彼の顔はどこか余裕で、

あまった5年前の問題、最後の年を解くようだ。

大抵は、5年分全てを終える生徒は少ない、

「物好きもいたものだ」とわたしは思った。

彼の表情は急に険しくなった、そうだ。それでいい。

さっさと諦めて、違う問題を解いたほうがよほど合理的なのだ。

だから、わたしに構わず、他の問題を解いてくれ。

当然そんな思いは伝わるはずもなく、彼は考える。

彼は本気で解こうとしていたのだ、こんなわたしを。

賢いのか愚かなのか、わたしを解くことに意味はない、しかし彼は真剣だった。

 

私は忘れていた、いや、知らなかった、

「問題を解かれる」ということがどういうことなのか、

ただ問題を解かれるだけじゃない、問題作成者の思い、わたしの思い。

それに答えることが「解答する」ことなのだと。

彼は解答者であると同時に回答者だった

わたしの悩み続けた問題を、

わたしに巻かれ続けた鎖をも

彼は解いたのだ

 

そしてこの時初めて私は、

この世に生を受けた。

儚くも美しきわたしの刹那(じんせい)

 

 

問8は泣く。

 

 

 

 

ということがあるかもしれないので

 

 

 

 

 

 

 

問題は最後まで問いてあげよう(ゲス顔)

(そしてその問題に時間取られて落ちろ)