はなくそモグモグ

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東京都知事選2024の感想①

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東京都知事選2024を経て、思ったことを書く。

 

まず全体的な結果としては個人的には良い傾向に見えた。

一部の人間は「ポピュリズム」だの「雰囲気で選んでる〜」だの抜かしているが、それは心の解像度が低いからである。

党派性を差っ引いて俯瞰して投票行動を観察すれば自ずとその意味は見えてくる、今回はそれについて記していこう。

 

まず、今回の立候補者全体に言えることだが、

面接官「それウチじゃなくてよくない?」

である。

自民サーの姫こと小池百合子と活動家サーの姫こと蓮舫はさておき、

それ国政でいいじゃんの石丸伸二、田母神俊雄、内海聡、桜井誠。

オンブズマンか会計監査員でいいじゃんの暇空茜。

デジタル庁の顧問か行政官僚でいいじゃんの安野貴博

それぞれの活動や特技を活かせるようなポストが他にあるだろ。と言わんばかりの公約や前歴の数々である。

 

それを裏付けるのが、各々の公約である。

一応ネットで公開されている文書形式のものは斜め読みで目を通したが、どれも実行可能性に欠けるし、都知事である必要性もほとんどない。

また、東京という社会がどうあるべきかの理念に欠ける。

(「安野は?」と聞かれそうだからあらかじめ蓋をしておきますが、安野貴博の公約を含めてなおこの感想である。)

 

しかしながら、有権者の投票行動は比較的「順当にまともになっている」と感じた。

これは立候補者過去最多の56人という選択肢の多様化による影響もあるだろう(まぁ立候補者が多い実態はNHK党による立候補水増しによるものが大きいが)

具体的にどう「まともになっているのか」と反論のコメントを準備中の方もいるかもしれない

それについて詳しく説明する。

 

 

・《投票行動》について

都知事選の感想を𝕏で漁っていて思ったのだが、まず「投票行動とは何か」そのものを再定義しなければならない。

しばしば我々は

「誰か一人の候補者を強く支持し、その人だけに自分の大切な一票を託す」

みたいな構図を想像しがちだが、選挙というのはそういった政治ガチ勢のためだけに開かれてはいない。

この世には《認知症のジジイ》か《陰謀論のジジイ》かの二者択一を求められる選挙もある。

そしてその中で《陰謀論のジジイ》を選んだとしても、私は彼の陰謀論を強く支持する。とはならない。

また、多くの人が誤解していると思うのは全体の投票率を見て「政治に無関心な層がこんなにもいる」という解釈だ。

政治に関心を持ち、各々の主義主張や党派性を慎重に吟味したうえで誰も支持できない。

と言う意思表示かもしれないとなぜ考えないのか。

まぁ、棄権は多数派支持と同じであるので最適解とは言い難いことと、自分が「誰か一人の候補者を強く支持し、その人だけに自分の大切な一票を託す」という気持ちで選挙に臨んでいるから他者もそうであると思い込んでいるのだろう。

今回顕著だったのは、齊藤蓮舫を支持する左翼陣営(私は彼彼女らには思想や理念があるとは認めていないので左翼とは呼びたくないのだが、可読性を考慮し便宜上そう記する)が

「若者は政治に興味関心を持たないので、投票にもいかない。自分の生活が苦しくなって初めて参政に手が伸び、そうすればおのずと蓮舫を支持するだろう」的な青写真を描いていたのだろうと思うが、今回の選挙結果を見て、

政治にそこそこ関心を持ったうえで齊藤蓮舫は否定されている。と流石に気付いたのではなかろうか。

まぁ当人の敗戦インタビューでは「思いが届かなかった」とあたかも"届いてさえいれば支持されていた"と言わんばかりのコメントをしていたので気づいていないのかもしれないが……

 

つまり、今回の選挙で分かったことの一つは

《ちゃんと選択肢があれば、有権者は投票に行く》

だろうということだ。

 

これは前回の都知事選と比較すればよく分かる
2020年の東京都知事選挙から2024年今回で得票率は55.00%→60.62%と増えている。

そして、当選した小池百合子の得票数は

3,661,371(59.7%)→ 2,918,015(42.8%)と下がっている。

そして、後藤輝樹の得票数も 21,997→5,419 と下がっている。

つまり、これらが意味するのは「消去法で百合子」「ヤケクソ票の後藤輝樹」が、今回のまとも " そう " な候補者に流れているということだ。

(実際まともかは置いておいて・・・ね)

 

・石丸伸二の躍進について

石丸伸二大躍進の大きな要因もそこにある。

𝕏では「切り抜き動画で印象操作しただけのポッと出にこんなに票が集まるなんて衆愚政治だ!」といった評価が散見されるが、それは本質を捉えていない。

 

石丸伸二への投票、その実態は《白票》である。

ということだ。

「石丸伸二を信じるとか(笑)」みたいな投票率の高かった若年層へのバッシングがみられるが、そこには一つの誤解がある。

最初の投票行動についての話になるが

彼に投票した有権者は《小池》か《石丸》か、あるいは《蓮舫》か《石丸》かで選んだのではない。

《投票に行かない(白票)》か《石丸》かで選んだのである。

したがって「あいつは安芸高田市で何にも実績を上げてないじゃん」も的外れで、

実績がないからこそ選ばれたのである。

むしろ彼は、政治家としてのキャリアを積めば積むほど得票数は落ちていくと私は予想する。

つまり「白票 ~漠然とした期待感を添えて~」のシェフの気まぐれメニューが生んだ幻想こそが石丸票なのである。

これが「白票+虚無」に結び付くと、後藤輝樹や横山緑への票になる。

(もちろん、人間的な要素に共感を持って上記に入れる人がいることも確かである。)

個人的には安野貴博票も似たようなものだと考える。

詳細については各候補者へのコメントとして後述する。

 

・《テレビ》の集落、そして・・・

今回の選挙の大きな特徴、というか印象深いのが『テレビの求心力落ちすぎ・・・』ということである。正直、私もドン引きレベルに影響力が下がっていた。

選挙日前日に後で見返すと面白いかなと思い、票読みツイートをした。

ちなみに事前調査等は一切見ずに、過去の得票率等を参考に判断。

結果は全然当たってなくて恥ずかしいのであまり載せたくないのだが、

一応結果→東京都知事選挙2024 立候補者紹介・選挙速報(7月7日投票)

読みを外した理由は大きく2つある。

・テレビの影響力を過大評価しすぎていた(≒ネットの影響力を過小評価しすぎていた)

・ドブ板を見ていなかった。

これに尽きる。

ドクター中松が顕著で、2012年の都知事選では中松義郎名義で129,406票を獲得していたが、今回は23,825票と大幅に下降していた。

彼は候補者の中ではTV出演回数が多くタレントとしての側面があり、お茶の間には知られている。

同じような立ち位置(業種は全然違うのだが)のマック赤坂が不出馬だったので、得票数を比較できないのが悔やまれる。

このように、テレビを通して知られている人間の支持が下がった他、各候補者の選挙戦略も顕著である。

暇空茜に関してはペンネーム&顔出しなし、政見放送もドブ板(掲示ポスター張り、街頭演説)も無しと、ネットの影響力調査の対照実験かよってぐらいの徹底ぶりでネット(もっと言えば、𝕏)以外の露出を排除した上で、上位7番目に位置する11万票も獲得しており、彼への得票を読み間違えたのはネットの影響力を過小評価していたからに他ならない。

石丸伸二も橋下徹フォロワーとして記者会見等のメディアへの受け答えが雑な対応で、現在もその態度は再指摘されている最中であるが、テレビへの映りを軽視しても得票数が2位になるということは、テレビの影響力、信頼が低下していることの証左といえる。

また、このようなテレビ軽視は当選した小池百合子にもみられる。

「公務優先」としてテレビ番組として討論会への出演オファーがあったもののすべて都合がつかず、かと思えばYoutubeのReHacQでは小池百合子vs石丸伸二vs田母神俊雄vs蓮舫の討論番組には出演している。

このようにテレビの影響力は以前と違い大きく低下しており、泡沫だけでなく主要な候補者でさえもテレビよりネットでの広報を重視している傾向がみられる。

ただ、この構造を切り取って今回の選挙を《テレビvsネット》と評する記事もいくつか見られたが、それは矮小化された切り取り方であると感じる。

実際には《テレビ》《ネット》《現場》の3つの三本柱があり、更に《ネット》の部分を割ると〈TikTok(+Instagram)〉〈Youtube〉〈𝕏〉が主な戦場になっていると思われる。

石丸伸二が結果を出したのは上記の中で《テレビ》以外のほとんどをしっかり押さえていたからで、だからこそ敗戦インタビューで「マスメディアが(自分のことを)当初全く扱わなかった」ということを言っていたのはそういうところからくる。

また、安野貴博が意外にも善戦していたのは《現場》を重視していたからで

安野陣営もこれまで、東京全土での54回にわたる街頭演説14,000箇所の看板の100%カバーするポスター貼りなど、チームの力で選挙戦を進めてまいりました。

#安野たかひろ 1ヶ月の都知事選挙戦を支えたチーム体制を公開&当日に向けた意気込みを聞いてみた!|#安野たかひろ 事務所(公式)

彼ら以外で50回以上の街頭演説を行った候補者がいるかどうかはめんどくさいので調べていないが、この単純な街頭演説の回数もしっかり得票に影響していることがわかる。

しかし、ネットしか見ていない層からすれば彼らのドブ板活動は不可視化され「いきなり票を伸ばしたアヤしいヤツ」のように映る。

 

このように集票を競う戦場はセグメント化されており、さらには各グループ間では情報が分断されていることが今回の選挙結果やその反応で見えてきた。

例えばテレビしか見ておらず、Youtube, Tiktok, 𝕏を全く見ない、さらにはそれらにアクセスするデバイスやインターネット環境がないような人の場合、石丸伸二や安野貴博、暇空茜、内海聡のような候補者を全く認知していないということが起きる。

そしてこれらは世代別の投票率にも現れているが、必ずしも単なる世代間での情報の分断というわけではなく、スマホを持っていて日常的に使っている高齢者とほとんど触らない高齢者、またはテレビを持たない若者とテレビ番組を録画して消化しているような生活様式の若者とでは、同年代にも関わらず情報の差分が生じ、もちろんここまで生活様式の違う二人がお互いに政治の話をするとは考えられない。

このような情報の分断によって、支持する/しないのスケールではなく、そもそも知ってる/知らないの構造になっているということだ。

例えばこの記事を読んでいる層だと、内海聡(うつみさとる)がYoutubeや書籍でどういう発信を行っていて、どれだけのフォロワーがいる人物かをそもそも知らない人が多いのではないだろうか。

 

このように支持する/しないの論点で語られがちな選挙戦だが、今回の選挙戦によってより一層明らかになったのは、認知する/しないのセグメント間の情報分断がもたらす、根本的な選挙制度の構造上の問題点である。

つまり、選挙制度というものの公平性(もとい当選可能性の)はマスメディアのマス性によって裏打ちされており、このマス性━━大衆への訴求力や影響力━━が大きく低下した現代においてはプラットフォームとして成立し得ない未知の時代に突入した、ということである。

 

どういうことかというと「おはよう、昨日のエンタの神様見た?」とコミュニティにいる人間全員が同じ番組を見ていて、それが面識のない初対面の相手でも共通言語のように話題が通じる時代、つまり国民のほとんどが同じ話題に興味関心を持つ(ような一方向性メディアしか存在しない)時代においては、今回の東京都知事選は《小池百合子 vs 蓮舫》の一騎打ちの戦いでしかなかった。

したがって、NOT小池票、どっちもゴミのヤケクソ票、事実上の白票は蓮舫に集約され、現職が支持されていないならば対抗馬が勝つという構造になる。

だが今回、石丸伸二が齊藤蓮舫より高い得票数で二位になり、本人が言うようにテレビが石丸についてほとんど報じなかったという事実が意味するのは、テレビのようなマスメディアがYoutube, Tiktok, 𝕏 のような巨大SNSと同じような影響力しか持たない程度に弱体化し、またこれらの巨大SNSもかつてのテレビのように国民全体に浸透することもないというマスメディアの不在である。

 

マスメディアの不在、それによって起きる各支持者のセグメント化、そしてそのセグメント間同士は情報が届かない。

それはつまり、『すでに選ばれた現職』に誰も選挙で勝つことは出来ない。

という選挙制度の構造上の問題がある。ということだ。

 

テレビしか見ない層(主に高齢者)が石丸伸二に投票していれば、彼は小池百合子に勝てたかもしれない。

ただ、そのテレビを見ない層は石丸伸二を「支持する/指示しない」ではなく「知らない」から選びようがないのである。

他の候補者についても同じで、テレビしか見ない、具体的に言えば𝕏やYoutubeを見ない層は暇空茜や内海聡を「知らない」から選べない。

たとえ東京都の不透明な会計や、ワクチン推進の諸政策について疑念を持ち、彼らの主張に賛同し得るとしても「知らない」から選べない。

 

そしてかつてとは違い、なんでもいいから二位を勝たせて現職を交代させ新陳代謝を促すというマス的な投票行動は失われ(最後にそのムーブメントにとどめを刺したのは民主党だろう)ある程度、候補者を「機能」で選ぶようになってしまった結果、僕たち人民は現職に勝ちうる可能性をなくしてしまった。

 

つまり我々の投票行動がまともになり、あらゆるニーズを拾うかのように多様化し泡沫候補および政党が乱立した結果、政策への需要は以前よりは高い解像度で可視化される一方で、この諸政治勢力同士では情報が分断されているため、団結が出来ない。

団結が出来ないため、既存の政治勢力に勝てない。

という選挙制度の構造上の問題が明らかになってしまった。

 

これは国政にも言えることで、あらゆる少数派の社会に対する不満は乱立する政党が議席を獲得する程度には力を持っている。

しかしながら、これらの諸政党は結局団結が出来ないので自民党には勝てない。

したがって支持率がいくら下がろうが政権交代は「構造上」起きない。

 

アメリカの大統領戦は━━たとえ認知症のジジイか陰謀論のジジイを選ぶ選挙だったとしても━━結局は二択になるという構造が、結果論的に政権交代可能性という新陳代謝を生んでいる。

翻ってわー国においては立憲民主党が、あるいはかつての民主党が自民党に匹敵する勢いを持っていれば二大政党制ルートもあり得たのかもしれないが、それがあり得たマスメディアとしてのテレビの力は失われ、本来『白票』を背負うはずだった齊藤蓮舫、ひいては立憲民主党は年々得票数を落とし、石丸伸二のようなミスター白票が現れればそちらに移動し、いなければ投票自体を棄権する。

そして残った反多数派の票はまた乱立する諸泡沫に分散する。

したがって現政権、現職に勝つことは出来ない。

という国民の声なるものを精緻に拾い多様化する政治勢力、そしてある程度『機能』を期待して投票に行く国民。

すべてが前進しているが、トータルで社会は何も変わらず、変えることも出来ない。

 

ここに構造上の問題を感じざるを得ないのです。