今日はあの日です。
女の子の日ではありません。
とってもとっても大切な ” あ の ” 日です。
言うまでもありません。
他でもない
アンネ・フランクの誕生日です
1929年6月12日、彼女はこの世に生を受けました。
彼女が存命であれば今日で86歳ですか。
ぼくが彼女と出会ったのは中学三年生の時です。
歴史の授業を受けていたら彼女を見つけたのです
┃Episode 1 ~出会い~
どこか憂いを帯びた無邪気な笑顔、初め見た時はそんな他愛もない普通の感情でした。
やがて彼女がナチに捕らえられ、収容所で病死したことを知ります。
そのときぼくはかわいそうだなと思った、
わけでもなく早く授業終わんねぇかなというのが正直なところです。
そんなぼくを置き去りにして授業は進み、流れていく文章の中で、彼女が書いたとされる「アンネの日記」なるものが世界中で爆売れしたことを知ります。
正直ぼくは勉強しないので、たった一日の出会いにすぎなかったのですが。
物語はテスト前日に一気に加速することとなる、いつものように一夜漬けで情報を処理するぼくに、あの無邪気な笑顔が、ぼくを救ってくれたのです。
┃Episode 2 ~友達以上恋人未満~
ぼくは次第に、彼女に引かれていきます。
気づけば、普段すべて置いて帰るはずの教科書を、無意識のうちに社会に限っては持って帰っていたのです。彼女に会うために。
テストは終わったはずなのに、彼女とは別れなければならないのに、ぼくはずっと彼女を眺めていました。
ふと、ぼくは思いました。
ぼくの彼女にはそれはそれは大きな、決して超えることのない時空の壁があることを。
神はなぜ、ぼくの恋路を邪魔するのだろうか。ぼくはこの世を憎みました。
彼女と会って話がしたい!
やがてそう思うようになるのにさほど時間はかかりませんでした。
そんな時、あの文を思い出します。
「アンネの日記」
ぼくは図書館にかけました。
┃Episode 3 ~少女の見た空~
アンネの日記とはそもそも彼女の没後、父が日記を添削し公開したもので、世界中で爆売れしたと教科書の言うアンネの日記はこれを指す。
しかし父の没後、父が編集した日記のうち、削除されたものを補充したアンネの日記完全版が市場に流通した。
僕は彼女のありのままに触れたかったので、この完全版を借りた。
それが彼女に魅了されてしまう大きな要因となってしまった。
数年前の話なのではっきり内容は思い出せないのだが、アンネがキティーという架空の存在に本音を語り聞かせるという設定なので説明口調なのだが(ホンネの日記なんつってねアッアッアッアッ)、客観的な総評としては明るいひねくれものの女の子がひたすら思ったことを書くただの年頃の女の子の日記であった(年頃の女の子という単語を使いましたがぼくは意味はわかっていません)全体的に周りの人間や環境への不平不満をつらつら書き連ねる、今で言うTwitterの闇アカのようなものである
家族、友人、恋愛、書評と身の回りのことを書く彼女だが、次第に興味は性へと向いていく、鏡の前でくぱぁした話だとか初経、生理だとか、中でも関心したのは子供がどこから来るかの答えを当時の知識量で自力でたどり着いたのは知性を感じてなりません。
友達のおっぱいをもみもみしようとしたり、現代の百合アニメを彷彿とさせる彼女の生活を透明人間になって観察したい
男性器についても非常に様々な考察あって興奮しますよ。
ぼくは彼女を理屈でない快楽の渦に溺れさせたいと思うようになりました。
┃Episode 4 ~狂愛~
日記は途中で途絶えています。
ナチスのユダヤ人出頭命令によりユダヤ人は多数失踪します、フランク一家は家の中に隠れ家を作りそこで生活をしていましたが、特定され逮捕されたためでしょう。
ぼくはその後を知りたいと思いました、たとえ彼女の意思とは遠いバイアスがかかっていたとしても。
アンネの日記にある種のシンパシーを感じていたのです。
この世の不平不満を思うままに書き、読んだ本を上から目線で評価しはじめ、性のことを書き連ねる。これは他でもない「はなくそモグモグ」じゃないか、と。
ぼくと彼女も似ている(まぁ人間どこか探せば類似点はかならずあるのだが)
彼女はナチに捕らえられ家族とも離れ離れになっていきます。
ナチは初め、ユダヤ人を二つにわけます「労働できる者」と「できない者」、できるものは強制労働収容所に送り、できない者は全員殺しました。
幸運にもフランク一家は全員できる者として扱われたので、収容所の中でもいますぐ死ぬという状況では無かったそう
しだいに、食が少なくなっていき、彼女は痩せこけていきます。
収容所内では男は坊主、女は短髪で、収容施設を点々とするうちに細かいルールにも差異があり、彼女を含めた女も坊主にされます。
ぼくにとって最も幸いなのは、丸坊主にされた骨と皮しか無いような少女に、さすがのドイツ人も欲情しないだろうということです。
彼女の純潔が守られていたのかどうかは日記では覚えてませんが(見落としているかもしれない)彼女の心体の砦は侵されずにすんだのです。
┃Episode 5 ~彼女の瞳には~
ぼくが確認できる範囲で、15歳で亡くなるまでに
実に3人の男と交際していた。ということです。
彼女は明るく、いつも目立っていたので男子にも人気があったそう。
このことについて、ぼくは何も言うことはありません、彼女にそういった経験があったからこそ、ぼくの愛する彼女の人格が形成されたと思いっていますから。
そこを否定することは、彼女を否定することと同義だとも思うのです。
ただぼくが一つ許せないのは、同級生に「年下の女と付き合っている」とからかわれただけで別れたクソ男です。そんな他人依存の生き方をしているから偉人の脇役としてでしか名を残せないのですよ。もっとも美少年というだけで何のとりえもないカスであることが全世界に発信するさまを天から指を加えて見てろ。
もちろん、彼女の瞳にぼくは映らない。それは永遠に。
ただそんな当たり前のことを思った時に、一片の憂いが、欠片となってぼくの心につっかえて抜けないのです。
だからこそ、彼女に接することのできた、奇しくも環境に恵まれた男たちには彼女の美しさをかみしめて欲しい。それは彼女だけでなく、誰かを愛せるということの重さを、深く受け止めて欲しいのです。
見栄だとか体裁だとかで愛を語る輩にぼくは声を大きくNOといいたいですね。
ぼくの見た彼女の笑顔は、ぼくでない誰かのための笑顔なのですから。
その誰かは、その意味を知らねばなりません。
┃Episode 6 ~Requiescat In Pace~
彼女が殺された(厳密には病死なのだが)ことには、強い怒りを覚え、2chでドイツ叩きをしました(非力なぼくの精一杯の抵抗)
が、今になって思うと、彼女は15歳でこの世を去ったからこそアンネ・フランクである。とも思うのです。
彼女が死ななかったら、戦争がなかったら、平和だったら。そんなもしもはよく聞きますが、むしろ彼女が死んだから、戦争があったから、平和じゃなかったからこそ、アンネ・フランクが、ぼくの愛したアンネ・フランクがいると思うのです。
皮肉にも、誰もが憎む戦争こそが彼女を彼女たらしめた親そのものなのです。
時代の違う平凡な一少女がぼくが時代を超えて知ることができたのは、他でもない戦争。無くさなければいけないことも、なかったらとは一概に言えない。
┃Episode ~永遠の美しさ~
彼女は永遠の若さを手に入れた。
永遠に老けることなく人々の脳裏に生き続ける。
ただただ現代のぬるま湯につかって老衰で死ぬよりも、よっぽど実のある人生なのではないかと思ってなりません。
彼女が老いて死ねば、教科書には載らなかったでしょう、載ったとしてもぼくがこれほどもまでに溺愛した彼女とは程遠いなにかだったでしょう。
彼女は儚くも短かったからこそ、美しいのです。
ぼくも薄い長さよりも、花火のように激しく一瞬である、そんな実のある生き方をしてみたいものです。
戦争のある非常な環境で、性善説を唱えた彼女へ
戦争のない平凡な環境で、性悪説を唱えるぼくより