この絵を見た時、大抵の人間が「森の中にいるくま」と解釈するだろう、
それも当然、描いた人間が「森の中にいるくま」を伝えようとしたからだ。
しかし、描いた人間は「森の中にいるくま」だけを伝えようとしているにもかかわらず
読み取れる情報は必ずしも「森の中にいるくま」だけではない。
この画像を例に上げると、
この絵の作者(俺)は「くまに白目があると思っている」
ということが読み取れる。
くまに白目はあるだろうが、見た目で白目があると判断しづらい顔の作りになっている
にもかかわらず、目視することが非常に困難なくまの白目を、
作者(俺)は見えると思っている
このように、絵を描くという行為は作者の空想を紙に写すことと同義なので
作者の絵画対象にたいする知識や私情などが顕著に現れる
この絵を書いた作者はきっと、可愛い女の子を描こうとしたでしょう。
作者の方針は「かわいい女の子」だとした場合、少しひねって考えてみれば
作者の「好み」がわかるのである。
この絵には「作者が何をかわいいとするのか」詰まっており、
この作者は”目が大きい顔”を可愛いと定義していることがうかがえる。
さらに思考をひねり、作者は「自分がかわいいと思う女の子」を描こうとしたのではなく、
「みんな(この絵を見る人)がかわいいと思う女の子」を描こうとしたと仮定すると
作者は「皆は目が大きい女の子が好き」と考えていることがうかがえる。
そう考えると、この作者が「不特定多数の人間に対し、どのように考えているのか」
作者自身の、ものに対する価値観までもが絵には反映されている。
このように絵には、作者の「伝えたいもの」以外にも「伝える気のなかったもの」まで伝わってしまう、
相手に伝える手段の端々に自分の経験則だとか歴史が見えてくる
「あざーっす」と「ありがとうございます」では伝えたい気持ちは同じであっても
言い方次第で伝わり方が違い、「あざーっす」は特に使用者の育ちを疑われる
逆に言えば、相手の視力を利用して伝える気のないようなことを意図して伝える
先程の例で言えば、感謝の気持がないのに「ありがとうございます」
丁寧な言葉遣いで誠意を表現する。そうすることで利益を得る
このように表現手段というのは相手が伝えようとしていないことでも読み取ることができる。
つまりは相手の説明力不足であったり、頭が弱い人間との会話であっても
耳をすませば、相手の思っていること以上のものが聞き取れるということ。