「卒論」に続き「センテンススプリング」という独創性の高い語彙力で急速に語録を生み出し、2016年カレンダーに載ろうとゲスの極み乙女を体現するベッキー。(「卒論」を最初に発言したのはゲス川谷)
今回は、その独特な語彙選択によって生み出された「センテンススプリング」について考察したいと思う。
┃センテンス1 「彼ら
まず「センテンススプリング」についてどういう意味かと聞かれた時、おそらく殆どの人がこう答えるだろう
ベッキーの交際をスクープした週刊文春、清純なイメージを売りにスキャンダルは一切なく「元気の押し売り」と嫉妬されるほどで、既に10社とのCM契約を結んでいた広告塔として高い地位を確立していた彼女はそのイメージ戦略の危機に直面、その刹那、不倫相手であるゲスの極み乙女ボーカルの川谷健太(川谷絵音 役)と連絡を取る。
というのが一般的に語り継がれているセンテンススプリングなんですけどもぉ
ぼきはぁ、違うと思うんですよぉ
まず第一の矢「卒論」、
離婚届を卒論と表現するハイセンス健太、正直バンド名と曲は好きじゃないけどこのセンスはすごいと思います……
僕は創作の根源は悪意だと思っていて、ハングリー精神だとか嫉妬であるとか性欲とか誰かに対する敵愾心などの矛先をうまく表現に反らすところから始まるんですよ。
で、この健太(川谷絵音 役)の妻に対する悪意から始まっていて、「卒論」というのは卒業するための通過儀礼ですよね。この卒業というところがネックで、健太(川谷絵音 役)にとって今回の結婚は「学び」だったのだというところで現妻を一種の学校と例えたところで、「離婚することによって」修学されるというのを一言にコンパクト圧縮された悪意、それが「卒論」。
圧縮なんですよ、表現の圧縮。
たった一言、たった一言で前後のストーリー性を生み、一言なのにもかかわらず芋づる式に背景が見えてくる
妻との生活、倦怠感、退屈、そして降臨する天使、彼は今までの人生は学校も同然だったと気づく、今社会に羽ばたく時、卒業、卒論、提出…… ……
全て比喩する言葉の爆発力。その爆発を一言に圧縮する言語センス
そしてそれをさり気なく会話にのせる瞬発力
この文才を個人に見せるメッセージで留める強さ、俺ならこんな表現、人に言いたくてたまらない……
なぜ彼は絵音を名乗るのか、音よりも文字のほうが気持ちが良い。。。
他の追随を許さない圧倒的な作詞センス。。。
今日からあなたは。。。絵音じゃない。。。
絵文字だ。。。
それを踏まえると疑問が残る
こんな文豪とともに過ごすベッキーが
イギリスと日本のハーフで英語の話せるベッキーが
痴漢冤罪で無実の人を逮捕させる法律の神、ベッキーが━━━━
「セ
┃センテンス2 「
具体的にどう賢いかというと、ひな壇型バラエティでトンデモコメントを自分に酔ってる感じで力説するアホタレントをデスノートのミサミサ、弥海砂と例えた時、ベッキー氏は高田清美ほどの知能さはあるだろう。(トンデモコメントを自分に酔ってる感じで力説する筆者の図)
要するにそれほど計算されたコントロール術を持っているということだ。
現に今までスキャンダルというスキャンダルが無かったはずだし(僕の情報不足かもしれない)それは自制が効いていたからなのか、情報統制能力が高かったのか(事務所もベッキ一辺倒なので必死)というところはわからないがただ結果を残せる能力があるという点でかなりの能力は会った、
よって、今回バレたのは油断というよりある種の破滅願望が会ったのではないか。現にここ数年ではそれをほのめかすような発言が目立っていた(2012年のしゃべくり007など)肥大する自己像を維持することへの倦怠感、それは優等生の髪が金色になるがごとく、交通手段がチャリからバイクへの躍進、そして顔からは知性が消え宵闇へと消えてゆく。そんな自分をある種望んでいた面が強いだろう。
「センテンススプリング」を理解する上でバックグラウンドの考察は欠かせない。
したがって我々が考慮すべきベッキー、すべきベッキー、いわゆる「すベッキー」は(この場合、面白くないという用法での「滑ベッキー」も存在する)学生時代、特に女に嫌われがちないわゆるキラキラ元気ウザうんこではなく、悪意のあるセンテンスをスプリントさせることの出来る破滅願望のある優等生として「センテンススプリング」を解読していかなければならない。
┃センテンス3 「英語」
しかしそれは頭の良さというのとは違い、生きる上での要領の良さという意味であることを強調したい、それを考えた上で学力の面でも、というよりコツコツ努力するというような勉学に対する姿勢が強いように見える。
それはすなわち何を意味するか、結論から言うと「英語が話せるはずだ」ということである。
彼女の父は英語の講師をしていて、彼女自身イギリスとのハーフ。英語に触れる機会は大幅にあり、そこに彼女の資質を合わせるとどうにも英語を話せないというのは考えにくい。それを踏まえると歪が生まれる
━━━━センテンススプリング
彼女は英語ができる、性格上それは誇示したいはずだ。我々の見解でもそれは一致している。もし相手の知的レベルに合わせて優越感を与えようとバカな女を演じれるのだとしたら相当賢いだろう。だがそれはあり得ない、この手のタイプはステータス重視で、自分がいかに相手の女性より優れているかを誇示する。ヒルズ族ディスしかり、相手の女を挑発する言動しかりその傾向はある、しかも相手は文豪絵音で彼は先に「卒論」という圧倒的センスを彼女に見せつけている、文豪の女としてのプライドが、安直な表現は許さない。
自らも「卒論」に匹敵する筆を魅せなければ、文豪の女足りえない
そしてその能力誇示の絶好の要素として英語があるのだ。
彼女は自身満々で文字を打つ「文春だからセンテンススプリングと発言しよう!」
その刹那、彼女の頭に閃光走る。
文春……Sentence……Spring……
……これ……OK…?……相手…絵文字……超文豪……
…文法……正し…直訳……出来?!……無事!?
コンマ一秒ほどの動揺の後、すぐさま体勢を立て直す、
そして心臓を一瞬止め、さらに一瞬はさみ鼓動を再起動。この間0.003秒
ネイティブ同然の思考回路が生きたか、すぐさま自分の文字列を客観視
……別の…………
……ベッキー……生き残る…方法……
……英……英語力……!……
Sentence……文章……another…one…
Sentence……meanings……is......
Sentence……別の……意味......
僕は英語がゴミなので間違ってたらすみませんが
この「Sentence spring.」の「spring」が「時期」ではなく「何を」を意味するとしたら?
「春に宣告しなさい」ではなく「春を宣告しなさい」だったら?
卒論を提出したあとの卒業、卒業の季節、すなわち春。
その「春を告げろ」、これはすなわち「卒業の季節を宣告しろ」という意味であると同時に、(心の)春、つまり「俺に春がやってきた」的な心理的な春、その春を告げろ。
センテンススプリングというのは文春とのダブルミーニングで「春を告げろ」
ベッキーは「卒論」という文学に対し、「春を告げろ」と答えたのだ
卒業を告げろ、自らの心の春を告げろ。
恐ろしき文豪達……
センテンススプリング・・・・・・