・4人の死刑囚(ABCD)は、赤or白のどちらかの帽子をかぶらされており、赤の帽子をかぶっているのはAとC。白の帽子をかぶっているのはBとD
・帽子の数は赤2つ、白2つ。4人の死刑囚とも、このことを知っている。また、誰がどの位置にいるのかも全員知っている
・4人は後ろを振り向いてはならず、少しでも動いたら射殺される
・Bは目の前にいるCの帽子の色を見ることができ、AはBとCの帽子の色を見ることができる。CとDは誰の帽子の色も見ることができない
・しゃべっていいのは、自分の帽子の色が分かった時だけ。もし自分が言った答えが間違いだったら、全員射殺される・自分がかぶっている帽子の色を言い当てることができたら、全員釈放される
まぁ要するに、上図のように帽子を交互にかぶらせました。
D,Cは誰も見えない
BはCのかぶっている帽子が見える
AはB,Cのかぶっている帽子が見える
という状況で誰が自分のかぶる帽子を知ることが出来るのか
という問題ですが、
早速答え書くので、考えたい人はスクロールせずに待機し「おまえの記事なんか興味ないし誤クリックで迷い込んだのにネタバレされてたまるか」という人はバックしていただけたらと思います
いいですか?
よろしいでしょうか
まぁ答えは「B」なんですけれども。
ここでポイントになるのはAの存在ですね、Aは「B,C」の帽子の色がわかります。
もし、B,Cの帽子の色がどちらとも赤、あるいはどちらとも白であったなら、「帽子は4つ」で「赤白2つずつ」であるからBCで片方の色を使い切るわけですから、Aは簡単に答えられるはずなんですよ、BCの色の逆を言えばいいんですからね。
しかし、上図のようにB,Cが違う色出会った場合Aは正解をいうことができません、Dの所有する帽子の色が把握できない以上白でも赤でもありえるわけですからね。
そこでAは「答えられない」ということは、同時に「B,C」が「違う色」であることを示すわけです。
それを知るBは目の前の「C」の帽子の色を確認すれば、その逆を言うことで自分の帽子の色がわかるというわけですね。
というのが今日出回っている正解なのですが
この回答…………
本当に正解だろうか━━━━
確かに、この方法を用いれば全員が釈放される。
それは確かに確かだ。実に確かであるという点で確かであることは確かである確かな答えだ。
しかしそれは数年後、あるいは十数年後かもしれない。
とある居酒屋で話す声が聞こえる。それぞれ別の服を来て、帽子はかぶっていない。
「最近どうだ?」
「俺ぁ、ぼちぼち」
最初に口を開いたのはAだ、それにDが答える。
そして会話が途切れることなく、4人の絆が再熱したように弾む。
「それで子どもがさぁ━━━・・
言わずもがな、四人は元死刑囚である。
あのクイズを乗り越え、無条件釈放された。
「うちの家内が━━━・・
社会は彼らが何をしたかなんてとっくに忘れているし、その事件よりもあとに生まれた人もいる。
けれども、社会は彼らは許さなかった。
メディアは事件を掘り起こし、社会に訴えかけた
彼らが一人間としてこうやって顔を並べることでさえ、ここまで来るのに苦労したはずだ。
彼らに対する風当たりは並大抵の強さではなかっただろう。
「ハッハッ━━━・・
それでもなお、彼らがこうやって笑っていられるのは
彼らを支えてくれる人がいるからに他ならない。
元死刑囚にして人並みの幸せを手に入れたのだ。
「おいおい、そんなに飲んで大丈夫か」
Bは何本目になるのか分からないビン開ける。
彼は脊髄で声を発しているようなぐらい支離滅裂で、他の者は声のトーンの具合だけでしか彼の発言を理解できなかった。
この4人だからこそなせるコミュニケーションだ
「一人で帰れるのか」
「てめぇは自分の家計でも心配してろ」
帰りが三人とは逆の方向だったBは、心配する声を背中に肩から声を返す。
理性が弛緩しながらも、なんとか思考できるほどに彼は酒に強かった。
三人がBを知覚できないであろう程度には歩いたところで、Bは石を蹴り飛ばす。
Bは独り身だった。
他の三人が妻を作り子どもを作っていく過程で、彼はただただそれを外から眺めながら、社会にはびこる好奇の目に翻弄されていた。
他の三人が近況を述べていく中、彼は三人に悪意はないと知りながらも嫉妬に似た不快感を抱き、そんな自分にすら嫌悪するように酒に溺れた。
だがBがA,C,Dの持つ全てに劣っていたわけではない。事実、三人が倹約し注文する飲食物を選ぶ一方で、心配されるほど酒を飲むくらいには経済的に他よりも豊かではあったし、それを形作る程度の社会的な地位はあった。
ただそれが、独り身であったから出て行く金が少なく、かつ自分に使える時間が多かったからだと自虐するようになりつつある頃には、この世の全てが自分を追い詰めるためにあるのだと、信じて疑わないくらい屈曲した心がそこで固定されつつあった。
なぜ、どうしてこうなった━━━・・
一度考えてしまえば、大気圏を超えてしまったロケットのようにその勢いはとどまることを知らない。
あの時、あのクイズに正解した当時。
神がもしいるのなら俺を中心に世界を作ったのだろうと思わせるくらいの人生の高揚感があった。明らかに全てが俺基準で、全てが俺を生かすためにあるのだろうと本気で思った。
A,C,Dとはさほど仲良くはなかった、どちらかと言うとこいつらも俺と同じクズじゃないかと。自分と同類だと思う一方で、こいつらと俺は違うと思っていた。俺は誰にも理解されない正義のもとにしかたなくここに甘んじているのだとさえ思っていた。
しかし、クイズに正解した時、俺達の絆は揺るぎないものになった。
その時俺は救世主のような扱いを受けて悪い気はしなかった。あの難度のクイズに正解したということよりも、俺を含め四人の命を背負って救いだしたという自負、成功体験があったから俺は特に不満は無かったがそもそも俺は自由である必要性を特に感じていなかったし、A,C,Dと仲良くする義理も無かった。
囚人として生きるほうが楽しかった、そこには自由に生きて制された人間が集まっているためにお互いに見栄を貼る必要もなくこの最底辺では登る術すらないから。お互い闘う必要すらなかった、自然と協力しあっていた。
そう考えると、ここでの暮らしのほうが息苦しく感じる。
法と倫理に支配され、常識と他人の目を意識するこの社会にいることのほうがよほど不自由であるのだと悟った時、収容所と外界を隔てる檻は囚人を閉じ込めるのではなく、我々現代人を閉じ込めているのではないか。そう思い始めていた。
そうか、俺は━━━・・
一歩、一歩と確かに地面に足跡を刻んだ時
そこに彼を制するものは何もなかった
その昔逮捕された時、俺は檻に閉じ込められたのではない、社会という檻から開放されたのだと。
地球は丸い、だからどこにどうまっすぐ進んだって同じ所に帰ってくる。広すぎるから忘れているだけで、監獄の中をあるけば壁にぶち当たるように、監獄の外を歩いていけばそのずっとずっと先で監獄の外壁にぶち当たるのだ。
そこには広い狭いの差が大きくあるだけで、根本的に内外の概念など、考えようによっては簡単に逆転する。
人とは、法と倫理を正しく守った模範囚だ。ただ「自由に生きない」ために延々と社会という檻に収容されている。不自由に生きることが罪なのだ。
開放されよう。
「また、俺は正解して、この檻からぬけ出すんだ」
それから数日後、A,C,Dの家族は離散した。
死刑囚を気まぐれで釈放した挙句、そのうちの一人が再び人を殺した。
この世の全てが彼らを許さないだろう。
社会は知らない、死刑囚と呼ばれる人間を。
知っているのは犯した罪の名前と数だけだ。
その後、A,C,Dも次々に死んだ。
死刑囚なのだから、この結果は当然とも言える。
・4人の死刑囚(ABCD)は、赤or白のどちらかの帽子をかぶらされており、赤の帽子をかぶっているのはAとC。白の帽子をかぶっているのはBとD
・帽子の数は赤2つ、白2つ。4人の死刑囚とも、このことを知っている。また、誰がどの位置にいるのかも全員知っている
・4人は後ろを振り向いてはならず、少しでも動いたら射殺される
・Bは目の前にいるCの帽子の色を見ることができ、AはBとCの帽子の色を見ることができる。CとDは誰の帽子の色も見ることができない
・しゃべっていいのは、自分の帽子の色が分かった時だけ。もし自分が言った答えが間違いだったら、全員射殺される・自分がかぶっている帽子の色を言い当てることができたら、全員釈放される
この論理クイズで聞かれているのは「誰が帽子を言い当てる事ができるか」ということである。
すなわち問題の肝は「誰が自分の帽子を知る立ち位置にいるか」であり、釈放されるか殺されるかではない。
だから正解は「B」であるが、Bは「前のCと同じ帽子を答える」べきなのだ。
・もし自分が言った答えが間違いだったら、全員射殺される
・自分がかぶっている帽子の色を言い当てることができたら、全員釈放される
このクイズはいかにして生き残るかではない、自分の帽子を知ったBが「どちらの地獄を選び死んでいくか」というクイズなのだ。
よって僕は、さっさと死んだほうがいいと思う。
したがって答えは
王「君ちょっと二段目に立って、いまから帽子当てクイズするわ」
ぼき「白ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」