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はなくそモグモグ

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詭弁の天才ひろゆき

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先日の「TVタックル」でのひろゆきの討論が話題になった中で、ある一つの討論が上げられた。

とりあえずその動画を見てもらいたい


デキビジ 勝間 vs ひろゆき - YouTube

 

若干ひろゆきに傾いているぼくだが、これはそんなバイアスを考慮しても、ひろゆきの勝ちと言っていいだろう。

勝間「実名化しろ」→ひろゆき「実名化しても特定する過程にかかるリソースは変わらないむしろ無駄がかかる」

勝間「起業しない若者が増えている」→ひろゆき「別によくね」

勝間「だから若者は不幸せである」→ひろゆき「幸せに気づいていないだけ、相関もない」

勝間「話し方が見下している」→ひろゆき「すいません、僕の能力不足で」

俺「ブーメランやん…」

 

勝間和代「リアルでは名刺交換するのに何故ネットでは匿名で良い?」

ひろゆき「でも僕ここで名前聞いたの4,5人で後みんな知らないっすよ?イベントやった時にスタッフ全員と名刺交換するんですか?」

勝間和代「今ネットの話をしてるんですよ」

このシーンでいかに勝間氏が自分の意見に固執しているのかがわかる。

彼女はこれで自分が正しいと信じ込んでいるのでたちが悪い。

 

もう明らかに勝間和代側に論の綻びがあることは明白で、相手に問題がある。

勝間の論点ずらし、ブレる論など上げればきりがないが

このひろゆきの論法もなかなかにズルい

 

というのも、全ての討論を見たわけではないが、基本的にひろゆきは自分の意見を言わない、相手の論を否定する形で自分が優位だと見せる論調である。

言う局面といえばTVタックルの時にも見られる、感想に対する感想だけである。

 

それも正当な主張とは言いがたい。

というのも「Aである、その根拠はB」という主張に対して、Bに根拠がない感想に近い場合での「ぼくはそうは思わないですけどね」と返す時の「意見」でしかないからである。

例としては、「A.死刑制度には賛成である、その根拠はB.他人を殺したのに自分が死なないのはおかしいからである」一見スジが通っているように見えるが根拠B「他人を殺したのに自分が死なないのはおかしいから」の根拠自体はまったくないので道理は通っていないただの感想である、それに対しての感想「ぼくはそう(B.他人を殺したのに自分が死なないのはおかしいから)は思わないですけど」という返しである。

普通は、A.死刑制度には賛成である、その根拠はB.他人を殺したのに自分が死なないのはおかしいからである」に対する反論は「その根拠Bはただの感想ですよね?」だけでいいのである。それだけで相手が根拠Bの根拠を上げられなければ論を否定できるのですが。

そこで「ぼくはそうは思わないですけどね」とあえて感想で返すところに意地の悪さがかいま見える。

 

例えば普通に返す「その根拠Bはただの感想ですよね?」だと、相手がマジで根拠を提示してきた場合、自分もそれに対抗しうる論を展開しないといけない。

しかし「ぼくはそうは思わない」と実態のない意見をいうことによって、相手の「Aである、その根拠はB」と同じ説得力の論を展開したことになる。

「Aである、その根拠はB」→拮抗←「ぼくはそうは思わない」

この返しがいかに強力かと言うと、相手はこれに反論できないからである。

なぜなら「ぼくはそうは思わない」に対して普通は「それはただの感想ですよね」と返すのが適切な答えである。しかし、その直前に「Aである、その根拠はB(感想)」を主張しているあまりに。

 

1「Aである、その根拠はB(感想)」

2「ぼくはそうは思わない」

1「それはただの感想ですよね」

2「なら、あなたの根拠Bも感想ですよね」

 

と返すことができるからである。

「ぼくはそうは思わない」というのは相手と全く同じ説得力を持ったをそのままぶつけるわけですから、それを否定すれば自分の論をわざわざ自分で否定するのと同じことになるからである。

そこで満を持して「その根拠Bはただの感想ですよね?」と返すのである。

 

Aである、その根拠B」に対するその根拠Bはただの感想ですよね?」と普通に返すより

あえて「ぼくはそうは思わない」を挟むほうが、自分にとって有利に見えるのである。

それの何がいけないかというと、反論する方は特に主張を考える必要がないからで

議論の上では禁じ手とも言えるだろう、討論なのに何の思考もない「虚解」がまかり通るのだから。

「ぼくはそうは思わない」と相手の論の逆を考えずとも「思わない」という逆の主張ができて、なおかつ絶対に勝てるフィールドに持ち込めるところに強力さを感じるのである。