数週間空いて結局同じようなネタで、慢性的なネタ切れを隠しきれていません!ぎ~くです。
閲覧が欲しいのでなんの意味もなく【エ口注意】という注意書きをしましたが
エ口は一切ありません、エロ(がないので)注意と言ったところです。
……。
。。。
うんこちんこまんこwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おっぱいおっぱいwwwwwwwピャーwwwwwww
触手エロ画像wwwwww文章がなんかお経とか呪文みたいだけど書いている内容はw
「あぁん、だめ♥タコにイかされるっ♥イっくぅ~~~~!!」
エロゲ特有の二回フラッシュ。
みたいな感じだから
大昔から触手はメジャーな性癖なんだって!
次は盗撮系のエロ画像っすわぁwwwwwアヒーwwwwww
身体のラインが見えない着物から一転した白い肌と豊満なバディーwwwwwwww
背徳感と熱情のハーモニーwwwwww
あっ、、、その、。。。うん。
さ、っす、ソッス・・・。ちょ、ちょっつ、ちょっと流石に
さすがに骨を犯すのは。。。レベル高いっすよ。。。
ネクロフィリズムならまだしも、それでも肉はありますから。
骨になっても服を着せて泣きながら腰をふる
愛執と哀愁のラプソディ
最近僕が痛切に思うのは(唐突な話題転換)
その辺の奴らの言葉の誤用がどこからきたのかって言うほど浸透している。
それをいちいち指摘していくとキリがないし、
それを悪だという風潮がある限り親しい仲の人間にしか言わない
僕は沈黙を通しますよ、
愚者達は誤字誤用を指摘してくれることを貴重だと思える知能になるまで時間がかかりすぎる
「本番正しく使えばいい」みたいなやつほど息を吐くように間違いが浸透してる
感染症なんですよね、そして進化の過程で共存し仕様になる。
一昔前に「神曲」「神作品」「神ってる」みたいに、
語彙力が無いくせにそれを補うため、強い言葉を使ってしまったあまりに
「神」なんていう最上級の形容をしてしまったがために、
その次には「鬼すごい」「鬼やばい」「鬼~~」なんて
滑稽なボケカスアホまるだしの表現方法が代わって出ましたね。
飽きんの早いねんて、語彙が少なすぎるから「神」を使うことでしかすごさを表現できず
挙句、同じ言葉を使うあまり、結果すぐ飽きる。
閉じた口が広がりませんわ
どれだけ頭が悪いんだお前たちは、
「神」という視力検査で「2.0」と同じ、最高の評価を出したあまりに、
それより凄いものができた時に、神以上とも言えず、
苦肉の策として結局「鬼」なんてバカな表現をする。
滑稽なんだよ君たちは、
表現を共有することでしか仲間意識を感じられないほど上辺に生きてるから
しょうもない定型文づくりに結束を感じてる。
だから周りと同じ言葉しか使わない、それがたとえ間違っていたとしても。
学生の頃、学校で生徒会の選挙立候補というものがありました、
まぁ、自分が学校を良くしてやろうみたいな強い意志を持ってる人間なんてまずいない
いやいや成績のためだとかやりたくないことをやってくれる人しかいないので
そんな人たちに「正しいあり方」を指摘するのは酷なんですけど。
まぁ、言ってることが薄っぺらいというか「頑張ります」とか「楽しい学校にする」とか「人前が苦手~」みたいなのに始終するんだけど、語彙くらいは独創的であってほしい、眠くなるから。
本題に入るとその中でもひどかったのが「私にこの仕事は役不足なのですが頑張りたいと思います」と言ってしまったんですよね
その時僕は目が覚めたと同時に国語系の先生を探しました、どんな顔するのかなって。
案外普通の顔をしていました、あきらめているのかは神のみぞ知る。
その「役不足」という言葉を「私にしては仕事が重すぎますががんばります」
私に不釣合いで私でいいのか、「私<仕事」みたいな謙遜して使ったみたいですが
役不足の本来の意味は「能力に対して仕事が軽すぎること」なんですよね
その生徒会の方は「私<仕事」で使ったんでしょうが本来の意味は「私>仕事」です
謙遜でも言葉を選び間違えると皮肉でもなんでもないただの傲慢な人になってしまうんですよね
ここで一曲行きたいと思います。
なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。
訳)最近のカスボケときたら「言はんとす」という正しい言い回しをせず、「言はむずる」といいやがる、マジボケアホにみえるからやめろ
「言はむずる」というのが汚い言葉らしいですが、はっきりどこが汚らしいか分かりませんよね?
納言フィルターを通すと「豊満で官能的」を「マぢクソ超エロぃ」と表現するほど許せないんですね、僕は下品な言葉が大好きです!
ですが、どうですか。その清少納言が正しいとする「言はんとす」ですら
意味もわからないし変換機能も仕事しません。それは恐らく過去にもいるであろう
バカどもが「言はむずる」を使いまくった挙句、また他の言葉に移り移りした結果なのです。
その結果何が起こりましたか、教育課程に「古典」が生まれたんですよ。
みんなが正しい言語を学び、使うことに気をつけていれば言語に派生なんか生まれないし古典もなかったし英語だって局所的には通じない方言にはならなかったはずなんですよね。
要するに君たちの嫌う「勉強」を生み出したのは、他でもない君たちなんですよ。
「古典ダルい~」とか言いながらも古典文法という言語の変化を現在進行で生み出している
もし、正しい言葉を選び、使うことに気をつけていれば、古い書物だって翻訳なんていらないし、歴史の伝承は正しく行われた。今日習ったことが明日変わってるなんてことはないんですよ。
そりゃ、昔は伝言ゲームでしか「継承」は出来なかったし、差異が生まれるのは仕方ないですが
今はそこら中に知識の文献があるし、インターネットだってあるし媒介するのに非常に便利な携帯だってある。
なのに人は、愚かにも多様性のある道具箱を嗜好品とでしか使えない
そりゃ、僕もね言語は移ろいでいくものだし「新しい言葉」に対して否定するつもりはない
現に今、僕が普通に使っている「新しい」読みは「あたらしい」ですけど
元は「あらたしい」と読みます、これを「あたらしい」と読みだした奴は多分
「最近の若者」として叩かれたことでしょう。
他にも「だらしない 元は(以下→)しだらない」「まさか→まぎゃく」「秋葉原(あきはばら)→”あきばはら”」
ちょっと語彙が少ないので例も少ないです。
言ってみれば、日本語の発明初期にいた日本人からすれば
今使ってる言葉すべてが間違いなわけですから、間違いだらけの新語で「新語」を否定するのは
その「愚かな物を叩く愚かなもの」という愚かな構図を作り出している一要素にすぎないわけで
だけどあまりにも「新しく生まれてくる造語」が同じ意味を持つ別の表現でしか無い
同じことを新鮮さのために移らせているだけの飽きっぽいだけの馬鹿にしか見えないのも主観的ではあるが事実である。
僕が「未来の古典文法」を生み出さないために必要なことは
今ある「新しい言葉」を新しいままに守っていくことである。