昔(小5~中2)のほうが圧倒的に知名度あったことに絶望を隠せない
お気に入り数は1200人ぐらいいた。
自虐風自慢はここまでにしてですね。
暇なやつ多すぎ
事の発端は僕が夕食を食べてる時に見たテレビの様子なんですが
「認知症対策に高齢者に仕事を与え、生きがいを見つける」みたいな内容で
僕が驚いたのはこの「生きがいを見つける」というところですね
ただただ今を適当に生きて、
食べ物を与えられ、住む場所も衣服も与えられ、
そして、宿題部活勉強仕事行事と、生きる理由すらも誰かに与えられている。
考える自由を得ていながら、考えることを放棄している。
前々から、「部活がなければ暇である学生」というのは多いなぁと思ってたのですが
社会人(元)でも「暇である人」が多いのには驚きを禁じえない
正直、俺にとって老後は天国(不謹慎)にしか思えない。
社会的に認められたニートって素敵やん?
早く定年して右手がしびれぬ限り漫画を書き続けたいとも思う。
しかし、実際にはその天国の中で「ボケる老人」(ウケを狙う老人という意味でない)というのが異常に多い。
なぜ認知症になるかというと「頭を使わないから」もっというと「生きがいがないから」
そして認知症が多いということは「生きがいのない人間」があまりにも多いことの証明であると
俺は「生きがいのない人間」というのを軽蔑してる。
普段、学生に対して抱いていた「暇なやつ多いなぁ」が、昨日社会人にも当てはまった。
人生に意味を求めるのはナンセンスだと思っている僕ですけど、
「自分はなんで生きているのか」という問いを持っている人間はボケナス以下のカスだと思う。
授業で「趣味は何ですか」みたいな質問で数十秒考え込んだあと「友達としゃべること」って答えた人がいた
別にそれも立派な趣味だし批判する気はないんだけど
人間って意外と一人でいることのほうが多いですよね(携帯使えば話は変わってくる)
「誰かといること」でしか趣味が成立しない人間って暇である時間というのが非常に多いと思うんだが、そこをどうやって埋めるのだろうか
普段、部活イヤー仕事イヤー言ってる奴がいざその嫌なことを取り上げられたら暇でしかないって笑わせんな
自分との付き合い方が下手なやつ多い
俺の人生は後半圧倒的に一人である事が多い。
しかし、「一人」でいることと「孤独」であることというのは大きな差があると思う
中学の時は割りといろんな人に注目されて、結構交友関係は広く浅くで擬似リア充みたいな感じだったんですけど
はっきり言って「時間の無駄だった」と感じる。
本音というか、素を出せない他者と付き合うのは時間の無駄。
「孤独でない自分」を演じるための要素でしかない
というのも一人のほうが気楽タイプの俺だから言えるけど
「自分が嫌いなやつ」って案外多いのかもしれない、
俺は自分の能力に納得はしてないが嫌いではない。
対し、他者との関わりを病的に求める人というのはどこか自分が嫌いなのかなと思う
大衆が「一人でいる時間」を圧倒的に嫌うからこそ携帯が普及するし、ラインが流行る
まぁつまるところ
群れてないでちょっとは一人で楽しんでみろやって話