はなくそモグモグ

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勉強が役に立たないのではなく、勉強できない奴が役に立たない

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見開きページのこういう表示は困るので
少し修正しました


after
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近未来幻想
別に読み手を意識した配慮ゆえの改良ではなくて
ただ単にあの表示はださいなと思っただけです。
約:べ、べつにあんたのことなんかksjdl;fkじゃsだからね!



漫画やブログをかいて金儲けするという
数年単位で設計した計画には取り組めるくせに、
数日後にあるテストの勉強には取り組めないという
なんとも出来損ないのゴミがいるわけですけれども

勉強は何のために必要なのか

という疑問は勉強できない無能な皆さんの誰しもが一度は通ったことのある疑問でしょう。

ですが、僕は思います





お前ら何様だよ。
テメーら無能が勉強を利用する気になっとんちゃうぞ、
勉学もろくにこなせないくせに使い道考えるとか馬鹿か?
手に入る前から使うこと考えるなよ。

勉強を何に使うのか、それを考える頭を養うのが勉学です。

で、勉強はてきないけど頭のいいぼくは「勉強は何の役に立つのか」という問の「答え」を見つけましたね
と聞くと「え?答えってなんだ?教えて!」と思うのがあなた方の残念なところですね。

少しは考えるということをしましょう、その習慣を身に付けるのが勉強です。
というわけで「勉強ができる」人間に「勉強とはなにか」を聞いてみました。

友人Aはこういいました
「勉強はつらいもの、そのつらいことを我慢して取り組めるものが社会的に評価される。」

友人Bはこういった
「人的資本の観点から学歴は能力保持の証明になり、評価する上での基準点になる。」

「聞く友達が二人とか少なすぎ」とか言うなボケ、俺の友達はバカしかおらんのじゃ。
両者ともに考えが類似しているのもそうですが、やはり勉強が出来る人というのは
努力するための理由というか、「自分なりの答え」を見出していると思います。

どっちかというと友人Aの意見に同意ですね。
「勉強はしんどいつらいきらいなもの」がもはや生徒間だけでなく教師側でも不変の事実として了解されている空気は否めません。
しかし、その「嫌いなもの」と定義した上で、「どれだけ嫌いなものに取り組めるか、そして結果を残せるか」ですよね。
学校では「努力を美化」する風潮がありますが、成功者の冒涜以外の何者でもありません。
学校では「努力した上で結果を残す人」に飽きたらず、「努力しても結果を残せない無能」を評する傾向にあります。
間違った努力、あるいは結果に対する考えが浅いゆえの失敗であるにもかかわらず、学校では評価されてしまう、
正直、結果を残せない無能の努力は迷惑以外の何物でもないと思います、努力を美化する倫理観がはびこるかぎり、僕たちは結果を残せない無能をいたわらなければなりません。
本質的に、数字的には「やらずに結果も残さない奴」と大差ないのに。
もっとも、入試や社会では完全なる実力主義なので「努力量」ではなく「結果を残せるかどうか」が評価のポイントになるので、そういうやつらはろ過されてきれいさっぱり。

しかし、「努力せずに評価を得る人」というのは社会的には不安定です。
もし、挫折や壁にぶつかった時、彼らはそれを乗り越える努力をしていませんから、何も為す術がありません。
対して、学校で「努力して結果を残す」は社会でも壁を乗り越える努力をするだろうという評価が得られます。

・嫌いなものに対する努力
・立ちはだかる壁を乗り越える発想
・そしてそれらを結果につなげる能力

これらを”学歴”は証明してくれます。

上の方へいけばいくほど、当然努力が必要になり、その学校を卒業するという「結果」を残しているわけです。
「学歴が低い」人間は必ずしも無能か?と言われると僕は首を横に振ります。
学校機関での教育に希望を見いだせず、独学であらゆる知識を身につける人も中にはいます。
しかし、それらの有能よりも無能のほうが圧倒的に数を占めます。
ゆえに、そのなかから努力している人間を探すのは難しいです。

逆に、「学歴が高い」というのはそれだけで努力、結果の証明になりますから
選ぶ立場の人間にとっては、選択の根拠として強いです。

つまるところ、低確率であたりが出るが基本雑魚ばっかの囲いよりも、ある程度は信頼できる人をろ過してきた囲いのほうが説得力が強いのです。
その「信用」を得るために僕たちは勉強をするのです、させられるのです。

「学び」とは本来、「自分の人生」を潤す考えの補強なのですが、
今日の社会ではどうにも、「人に魅せるための努力」になりつつありますね。
数学を学び、公式や解放を覚えていても、それを日常生活に応用できる人は少ないです。
詰め込んだ知識は使わないともったいないと思いませんか?

自分はここで知識をひけらかすぐらいしか用途を見出していませんが、
何の役にも立たないゴミ拾いに一日の過半数を削られている現代の檻の中の小鳥を見ていると、
檻から出た時に、しっかりと空を泳げるのか僕は不安です。