次回の漫画の画像は載せられないから即興で描いたがフェンリルむずかしい。
普通の狼も描いたので比較してください、
主な違いとしては、というかそこしか違わないんだけど
耳ですね、普通の狼は耳が立っているのに比べ、フェンリルのほうが耳が長い
そのためなんか垂れてるようになる。
あ、「フェンリル」という名前は北欧神話にでてくる狼からとってます。余談ですけど
話を戻して、
俺のフェンリルのキャラデザでは狼に見えにくいというリスクをはらんでしまう。
これは非常に重要な問題である。
まぁ、俺の画力が上がってくれれば済む話なのだが
そもそも、漫画においての”画力”とはそこまで必要でないのである。
読み手にとっては、絵が綺麗なほうがイイ読み心地を与えるが
絵がヘタだからといって売れないということにはつながらない、
例を上げれば(失礼)
ワンパンマン(原作)漫☆画太郎のシリーズ、ギャグ漫画日和などだ
まぁ、これらはギャグ漫画なので、絵の雑さはギャグのテイストになりうるので参考にならないが
「うえきの法則」は能力者バトル系統の漫画だが画力が高いとは言えない
だからといって売れない、面白くないわけではない。
さっきから何が言いたいのか?とそろそろ思われてくるので結論を述べる
読み手がわかれば漫画における画力はどうでもいい
つまるところ、こういうことです。
読み手が、この絵はこういう状態を表している、とか、こうやって殴って蹴った
みたいな動きを理解できるかどうかなのです。
NARUTOの作者は絵がうまいですが、バトルシーンになると、ときどき状況がわかりづらくなります。
最近のワンピースは、作者のこだわりか、やたらと書き込む傾向にあるので
背景と人物がごちゃごちゃになって見づらいです。
ところで、このシーン、どういう状況かわかるだろうか?
僕は漫画でこのシーンを一見した時、弾が当たらないのかと思っていた
しかし次のコマで
モブ「当たらねェっ!!! 飛んでくる場所が わかってんのか!!?」
このセリフを見て「あ、このシーンは避けてたんだなっていうのがわかります」
ワンピースはストーリーがすごく哲学的というか、芯にせまる内容なので好きですが
絵(表現力)のヘタさには、目が余るものがあります。
お前何様だよ死ね、とか言わないで下さい。
でもこれは本当に重要で、小説なら文章、漫画なら絵と文章、映像なら動画と音
といった具合に、媒体によって表現手段は異なります。
漫画はせっかく「絵」が使えるのですから、状況説明というか迫力のあるシーンを
文字で表現してしまうのは少し、もったいない気がします。
文字に頼るなら小説でいいじゃん、となりますから。
小説では文字だけなのでバトルシーンの迫力ある表現ができないので少ない傾向にあります。
漫画はその逆ですね。
といった具合に「絵」というものを「文字の変わり」にするのが漫画で、
その「絵」は情報伝達手段以外の何者でもないのです。
正直、小説に挿絵入れたり、漫画で「解説モブ」を使うのは
表現者としての敗北だと僕は思います。
ここでもう一つ画像をあげます。
ドラゴンボールですが、このシーンは言うまでもなく「避けている」というのが伝わりますよね。
こういう「絵のわかりやすさ」がドラゴンボールが評価される要素の一つでもあります。
漫画における「絵」とはこういうものを求められているのです。
どうしても絵では説明不足だと感じる場合は「モブの解説」というのもひとつの手ではあります。
実際、それを意識して漫画を読むと「あ、こいつ説明キャラだな」というのがわかります、
そういうのを探すのも面白いかもしれません。
近未来幻想にも・・・。
僕は漫画を書くにあたって、いろいろな作品を表現を意識しながら見てきましたが
例えばキャラが驚くときに、椅子から転げ落ちたりしていて
「いや、そんな奴いねぇだろwwwwww大げさすぎワロタwwwwww」
とか思っていたのですが、「情報伝達」というベクトルで考えてみると。
「大げさにする」というのは「わかりやすさ」の裏返しであると思ったのです。
僕は写実主義なので「主人公がゴールを決めた瞬間に試合が終わる」や「主人公が偶然何度も殺人事件に出くわす」などのご都合主義には嫌悪感を示していましたが
描く立場になって、もう一度考えてみると。
読者が「普通に考えておかしいだろwww作者バカすぎwwwワロワロホスピタルぴーぽーぴーぽーwwwwwwwwwww」
と思っていることの大部分は、読者への配慮だったりするわけですね。