酒に詳しくなると、市販の酒では満足できなくなる。
味に詳しくなると、普通の食べ物では満足できなくなる。
何かを知るということは、それ以上のものを求めることと同義であり、
人間の欲望に逆らえる理性を持っていないと、不満を抱くことになる。
視力を鍛えると、粗が見えやすくなるように、
専門的な知識や能力を得るほどに。満足するハードルが高くなる。
それゆえに人は不幸になる。
人間は隠す生き物であり。当然、悪いものは隠す。
逆に言えば、隠すものは全て悪いものであり。
隠しているものを見破る力というのは悪いものを見つける力である。
視力を鍛えることはすなわち、見なくてもいいものを見ようとすることと同義である。
ならなぜ人は学ぶのか?
人を知れば知るほど醜い一面が見えてくる。
社会制度を学べば学ぶほど、法的機関の裏がよく見える。
「知る」ということは「不幸になるリスク」を常に背負い続けることになりますから、
そこまでしてなぜ人は不幸になるのか。