「賢い生き方」とはなんだろうか。
前は「問題を適切に対処していく」生き方だと思っていた。
問題が起きればそれに対し臨機応変に、かつローリスクに解決する。
しかし、この前気づいた。
「賢い生き方」とは
「問題を未然に防ぐ」生き方であることを
そもそも問題を起こさない、起こさなければ解決することに労力を削がずに済む。
だが、最近俺は思う。
問題を起こさないよう未然に防ぎ、たとえ問題が起こったとしても即座に解決する
そこに損害が生じず、予め立てておいた予定や計画を狂わせることはない。
そうやって合理的かつ安全な人生に
はたして何の意味があるのか。
「賢い生き方」とはすなわち「つまらない生き方」と同義であり、
人生の刻限を最大限無駄にする行為であると。
なら、失敗に埋もれ恥辱にまみれてもなお、挑戦することを辞めない。
そのような「愚かな生き方」を私は支持したい。
人生の価値とは情緒的であり、何を幸せとするかは個人ではまた違うが、
人は幸せになる権利があると同時に、幸せになる努力をする義務もある。
「失敗を恐れるな」とはいえど、失敗を許さない世界にしたのは
紛れも無く我々であり。
それにより挑戦する価値を損なわせてしまったのもまた我々である。
人生を冷めたものにしたのは自分であり、
温めてもらうことを主張するのは間違いである
しかし、温めようと自分から努力することを誰も止めはしない。
幸せになることを強要する権利は私は持ちあわせてはいないが。
愚かになることもまた「賢い生き方」であることを
愚かな私は主張したい。