「やらない善よりやる偽善」という言葉がある。
俺はこれを
やらないことが善だとしてたとえ偽善であっても行動をおこすことのほうが意味がある
と解釈しています
このままでは「は?」なので詳しく話します。
例を上げて東北の大震災、
この時に募金する人がたくさんいましたがその中に
「募金とか偽善者」「売名が目的か」
と、募金する人を偽善だと否定する人がいました
「いい人に思われたいから募金する」「募金したら名前が広がる」
俺もこれは立派な偽善だと思う。
「善を自分の利益に利用する」そういった点では募金するような人たちは偽善である
と言えます
しかし、本当に助けたい一心で募金している人がいることを忘れないでください
それは置いといて、
その偽善者を否定することが
「善を自分の利益に利用する」人を批判することが善だとしても、
俺はその人達を正しいとは思いません。
たとえそれが利益のためであっても
人によく思われたいだけであっても
救われる命があるからです。
募金だって、偽善でも売名でも、金さえ落とせば
被災者がパンを食べられるかもしれない。
逆に偽善者たちを批判してなにもしないことが善であっても
それは誰も救われない。
貧しい人に同情することよりもパンを上げることのほうがよっぽど価値のある行動であり
貧しい人にとっては悪い人でもパンさえくれればそれは善なのである
その行いは善か悪か、利益のためか売名か、かわいそうな人を助ける意思があるのか
そんなことを考える暇があるならパンの一つでも送ってやれ
それが「送る」であっても「贈る」であっても
相手には「届く」んだからな