はなくそモグモグ

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「学」はいつも「疑問」から始まる

欲望を満たす時、それは人間にとって恥とされがちである

寝るときは心を許す人でなければ一人で寝るし

排泄欲、トイレでウンコおしっこをするときは例外はあるが基本は一人だ

そして性欲言うまでもなくオナニーは一人だ。

たいていの欲は一人で充足され、

そうでない顕示欲やリスク回避欲、攻撃欲など他人に干渉する形で満たされる欲望も

相手には欲望と悟られることはなく、だいたい一人で発想、実行し、一人で完結する。

「お前目立ちたいだけだろ」「逃げたいだけだろ」「お前ストレス発散で殴るなよ」

と、行動の原理が欲から来ることを指摘されると、

人はなぜか嫌な気持ちになり、中には怒りなどの感情をむき出しにする人がいる

人間の行動原理のほぼすべてが欲によって構成され、それを指摘されることを嫌う

欲張っていることを相手に知られたくないのか、あるいは

欲によって動く短絡的な人間だと思われたくないのか、理由はわからないにせよ

人間は欲望を恥とし、隠そうとする生き物である。

 

そこで一つ疑問が生まれる。

なぜこれほどにも欲を隠し、それを悟られないように行動しようとする人間が

なぜ欲望が行動原理であることを指摘されるのを嫌う人間が

なぜ個人で完結し、それを相手に隠そうとする人間が

なぜ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事を恥としないのか

「お腹すいたー」など食欲が沸いているという現象を隠すことなくさらけ出している

しかも、それを満たす食事も普通に公に行われている

女性の一部は、「よく食べること(欲の程度)」を恥とするが

基本的に食(欲)を満たすことに恥もなく隠そうとする気配もない

 

なぜ隠さないのか、

第一に

一人ひとりが食を恥として、それを隠せば

摂食に対し障害になる可能性がある、

個室にわかれて食をとれば当然効率も悪いし、その分の建設費もかかる。

食事というのは活動するためのエネルギー補給になるわけなので

そこに障壁を作ると厄介なことになる。例として拒食症などの摂食障害

 

第二に、他人に対する被害確率、

先程述べた欲望

顕示欲、つまり目立つためには相手に被害を与える可能性があるということだ

光を浴びようとするとその中に必ず影ができるように、

影を作らないと輝けないようにできているからだ、

リスク回避欲、安全に生きようとする欲、

しかし自分が助かろうとすると誰かを蹴落とさなければならない可能性もある

攻撃欲、誰かを蹴落としたい、上に立ちたいなど、他人に干渉する形の欲望には

他人に被害を被る可能性がある

 

しかし食べること自体に他人への被害確率はない、

もっとも、動物を殺して食べるという点では動物に対し最高の被害ではあるが、

このように他人に迷惑をかけない欲は恥にならないという考え方も存在する。

 

ようするに、「欲を恥とする」風潮は、人間の文化によって構成されているに過ぎないということだ。

人前でオナニーすると捕まるのに人前で飲食しても捕まらない。

どちらも同じ欲望であるのに、人間の構成する価値観によって

それらの平等性は保たれていない。

欲望の程度はあれど、基本的に行動原理としての欲望は平等であるはずなのに

人間の愚かな文化、価値観によってそれらの均衡に波が生じている。

 

自分たちの否定する欲望に対し何も疑問を抱かず、欲によって次の行動へと移行する

そんな欲によって支配され、その欲という一時の脳の信号の波に何の抵抗もなく流され続ける人間たちの構図が実に愚かであるといえる。

なので

 

 

 

いい加減「性」をタブーにする風潮やめね?