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はなくそモグモグ

webサイト:http://kusonote.com/

懺悔

【お詫び】

syamu記事を制作するにあたって論拠となる様々な情報が裏付けのない、相関を示すものとして不十分な内容でした。

これはsyamu学に対する冒涜であり、僕自身の怠慢でもあります。

しかしながら、証拠能力の低い論拠(誤った情報)を用いて結論を求めてしまった点は問題ですが、その根拠に基づいて結論を導き出したわけではないということをご理解頂きたいと思います。

つまり、私が以前から漠然と思っていた傾向や法則を補強するために根拠を集めたという時系列になりますから、証拠能力を失っても結論の論理的整合性が失われるものではないと考えております。

なので、もう一度別の正しい情報を用いて、説を補強していきたいと思います。

しかし、私の怠惰が間接的に印象として疑念を生んでしまった事実は変わりません。

そのことを猛省し、今後、二度とこのようなことが無いよう

指摘を受ける前の訂正前の原文を載せたいと思います。

 

kyanoscreate.hatenablog.com

こちらが訂正後の記事になります。

 

この記事は訂正前の記録として残しているものですので

syamu学研究の根拠に乏しいため、閲覧に注意して下さい。

 

 

(前略)

この度は、是非ぎ〜くさんにの見解をお聞きしたい論題が一件ありまして、メールにてコンタクトを取らせて頂きました。

(中略
論題とは、以下のようなものです。

(問)syamu_gameによる「私はイケメンではございません。ですが、心はイケメンでございます。」の発言は、『自虐を含んだユーモア』と、『本気のアナウンス』どちらの意図によるものであったのか?

最近更新されているブログ内のコメント欄でも、無関係な記事にsyamu関連のコメントが寄せられている現状この話題に関しては辟易としておられるかもしれませんが、よろしければ暇つぶし程度にお付き合いください。
ちなみに私個人としては、前者の『自虐的意図を含んだユーモア』の領域であると考えています。以下は私の考察です。

そもそも、前者の『自虐を含んだユーモア』というのは、このケースを例にとるならば、
自惚れ発言→視聴者からツッコミが来る…という所までを発言者が見越した、いわば婉曲的な自虐ネタというのが一般的(健常者的)な思考です。馴れ合いとも言えるような、もはや使い古された流れですが、ボケとツッコミという連携があってはじめて成立するネタですね。こちらをパターンAとします。

一方後者では、前提として全てが言葉通りの意味なわけですから、今回の場合状況としては、syamuの中では

①syamuをイケメンだと思っている人がいる
②syamuは自分をイケメンとは思っていない
③syamuは自分の性格は良いと自己認識している

これらが事実としてある訳ですから、①の人々への対策として②、③の(彼の中の)事実を動画内で『本気のアナウンス』をしておいた。ということになります。パターンAとの最大の相違点は、①の条件が発言者のボケであるのか、本気の認識であるのかという違いですね。こちらをパターンBとします。

これらを踏まえた上で、では件の「心はイケメン」発言はパターンAとBどちらに当てはまるのでしょうか?
単数、複数関わらず“you”の立場で物事を考えられない、すべての思考発言の主語が“I”になってしまうというsyamu_gameの特性を前提に考えれば、Bに決まっているだろガイジと即決されんばかりですが、(実際、ニコ動のコメントを見ていても、syamuが本気で呼びかけているとみなしている人が大多数のようです。)本当にそうでしょうか。自分としては、その結論は少し安直な気がするんですよね。
ここで注目したいのは、一般的にピックアップされている彼のガイジ性ではなく、あまり話題に上がらない健常者成分の方です。実際、切り取られた数々の名場面集にイメージが集約されがちですが、カットなしの本編でたま〜に覗かせている割にまともな一面の方を見る限り、この「心はイケメン」発言を、視聴者からのツッコミありきの自虐ネタとして用いるために最低限必要な知性、ギャグセンス、話術のハードルは、syamu_gameの持ちうるスペックでもギリギリクリアできる範囲のものだったのではないかーーーと思ってしまうわけです。
ただ、「敬語使うべきジャァン…」とかに表象される凄まじいs成分がパターンA説の足を引っ張る訳ですが…

やけに長くなったのでここらで切って、再度結論として
“少なくとも「心はイケメン」発言をした時は、一般的な自虐ネタとしての用法で用いていた。”
というのが私の最終的な意見です。

(後略

このメールに対して、30代無職に対する私見を4000文字で返信するという半ば嫌がらせともとれる活動を水面下で行っていました。

動画:大物youtuber 自分は心がイケメンであると語る by のびハザ ゲーム/動画 - ニコニコ動画

確かに、動画を見ると後の発言(被災者の件)がたまたまどんでん返しの構図になっていたり、当時20代後半の成人男性がいきなり自分の性格をイケメンだと自称する異常性から「彼はネタで発言したのではないか」であるとか

逆の意見ですと「あいつは自己愛が強いからマジで言ってるよ」と思うかもしれません。

 

もちろん、僕の考察が正しいとは僕自身も思ってなくて、むしろ常に疑い続けているというか反証を期待してブログに投稿している面もあるのですが

それを踏まえた上で、やはりsyamu_gameについて僕の考えと皆さんのsyamu像に乖離があるのではないか、ということで

 

『彼の自己評価のメカニズム』について述べたいと思います。

 

まずメールの根拠に基づいて

①syamuをイケメンだと思っている人がいる
②syamuは自分をイケメンとは思っていない
③syamuは自分の性格は良いと自己認識している
の三つの要素を更に掘り下げていく

 

①syamuをイケメンだと思っている人がいる
というのは客観的事実ではなく、あくまで浜崎順平視点による主観的な観測であるということを補足しておく。

※実際に直接容姿がイケメンであるとコメントしている人もいたそうです、がここでは通念上の一般論として「主観的客観においてイケメンではない」という表現を用いる。
つまり、「syamuさんが【syamuをイケメンだと思っている人がいる】 " と感じている " 」に過ぎず
これは理髪店の店員に「頭の形が良い」と言われた時も(おそらく他に褒めるところが無かった)動画で喜々として報告する様からも伺えますが

syamuさんは他者の賞賛や関心をいつまでも覚えていたり、それを第三者に報告する傾向にある。

 

ここから読み取れるのは「他者のお世辞を拡大解釈する習性があるということ。


ただ、この現象自体は彼だけに存在するものではなく

そもそも人間に備わっている「確証バイアス」という心理的傾向なのですが、彼の健常者成分の希薄さによってこれがより強調されている気がします。

 確証バイアス(かくしょうバイアス、英: Confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

確証バイアス - Wikipedia

 

②syamuは自分をイケメンとは思っていない
③syamuは自分の性格は良いと自己認識している


syamuさんの活動の変遷を辿ると、活動停止する(更新頻度が大幅に下がる)直前にある共通点に気づきます


・動画投稿→アンチ(=俺オナ民)に叩かれ引退親によって強制的にやめさせられた

※ソース無し


・執筆活動→アンチ(=俺オナ民)に叩かれ引退親によって強制的にやめさせられた

f:id:zaqmju7:20161228000203p:plain

※根拠に乏しい


・作曲活動→合作中、協力者が彼の言動に見切りをつけいなくなったためにフェードアウト

出典:https://www63.atwiki.jp/syamugame/pages/46.html


・こえ部→いい声の部屋に入った時「いい声ではない」と言われ終了

Thu Jul 10 05:35:45 +0000 2014
チャベリにある、いい声の人って部屋に入ってみたんだけど。
俺の動画見せたら、いい声じゃなくて、普通の声って言われた。
なんか、ショックだわ。いい声って、コメントでもあったんだけどなぁ。
見てろよ、見返してやるからな。

 ※こえ部ではなく正しくはチャベリです

 

・絵を描く→竹林以外の作品なし

「竹林」:Syamu_game @ ウィキ - オリジナルイラスト

 

その殆どが第三者に叩かれた(嫌われた)時、であることが伺える。
つまり「自分が受け入れられている」と続けていた活動が、執筆活動であれば俺オナ民を始めとしたアンチに叩かれた時、Twitterで執筆していた時や過去に作曲していた時はお世辞を言ってくれていたコミュニティの人々がだんだん痺れを切らして離れたりブロックした時など
褒めてくれる人のほうが多い環境の時はアンチコメはブロックなどから読み取れる通り強気な対応をとりますが、アンチの数のほうが目に見えて多くなった時には弱気になります。


要するに「 " 受け入れられると思っていたが " 逆の反応が多くなっていた」時、

彼は自己評価と他者評価の乖離に気づきます。

 

ここで注目してほしいのは「初めは自己評価が高い」点


これは自分のオリジナルメニューに100点をつける所からも伺える通り、自分の作る作品については客観的には「甘めの評価」が多いです。
「なぜこの思考回路に陥るか」について、多くの人は「自己愛が強い」ナルシズムに起因すると考えられていますが、実はそれでは説明が困難なsyamuさんの自己評価が低い例が存在します。

 

自分の容姿 ・・・後にネカマ「童顔」「可愛い」などの評価を鵜呑みにしますがこれは確証バイアスの典型的なパターンだと考えて良いでしょう、少なくとも動画等の言動から「男前ではない」自覚がある。

※「童顔」というワードの初出はsyamuさんの自称でした。

 

自分の絵  ・・・「竹林」の他に作品がなく、画像が必要な時は猫夜叉に委託したりコミポというソフトを使い自分では書かない。どの配信か忘れましたが「自分は絵がかけない」という発言もある。

※配信ではなくネカマとの会話でした

「竹林」:Syamu_game @ ウィキ - オリジナルイラスト

 

ネカマの発する「童顔」発言はsyamuさんによる誘導でした

 

このように二つ、自己評価が低いパターンがあります。この二つに共通するのは良し悪しの判断が「視覚」によって行われる点です。
それを明確にすべく、自己評価の高低をリストアップします

 

自己評価が高い 動画(面白さ) 小説 オリジナルメニュー(食) 作曲 カラオケ
自己評価が低い 容姿 絵

 

これは過去のTwitterの発言などをもとに作成しました。
自己評価が高いものは小説や動画などの面白さという概念であったり、味覚(オリジナルメニュー)や聴覚(カラオケ、作曲)など、視覚以外に限られます。


これは「syamuさんの目が良い、視覚以外の四感が衰えている」という構造論的な話ではなくて、例えば我々人間も(まるでsyamuさんが人間でないような表現ですが、彼も人間です)

「映画(またはバラエティ番組など)が面白かった、つまらなかった」に賛否両論が生まれたり

プロが作った音楽の良し悪しを精密に語れる人がいなかったり(ゲームの音楽って大体いい曲多く感じますよね)

ホテルが車海老をブラックタイガーだと偽装してもなかなかバレなかったり(2013年の食材偽装問題)

と素人である我々は、面白さの概念や、視覚以外の知覚で処理する作品や事柄についてはっきりとしたイメージを確立できずにいますよね。

ふと「 " 面白い " ってなんだろう」と思ったり他にも「売れてる曲全部耳に残るわ~」とか「正直、食材の値段と満足度はそれほど比例してない」とかという感覚は誰しもが抱いていると思うんですが

なんとなく、絵が下手かどうかであるとか、顔がイケメンかどうかの感受性は誰しもが繊細に持っていて「いやいやこいつはブサイクだろ」みたいに、視覚から来る物事ははっきり断定出来るケースが多いのではないでしょうか。


というのも、それは人間に備わっている情報摂取量に起因するのですが、


視覚 83%
聴覚 11%
味覚 1%
臭覚 3.5%
触覚 1.5%
(産業教育機器システム便覧より)

※この著書自体信憑性に欠けると言われがちですが、視覚が圧倒的に処理する情報量が多いというのはおそらく大体みなさんも感覚的にであったり何かの媒体で見聞したりで知っているかと思います、のでとりあえずその目安として考えて下さい。


このように情報をより精密に処理できるのは視覚であることがわかります。なのでsyamuさんに限らず、本来小さい大きいの個人差はあれど、この感覚は誰しもにあるものなのです。


中でもsyamuさんの知能が大幅に低いということで、情報を整理する理性の働きが弱く、情報量が少ない視覚以外の感覚に対する良し悪しの判断が「その時の自分の都合によって流される(認知バイアスの影響を受けやすい)」のでしょう。

逆に、「自分の都合によって流される(認知バイアスの影響を受けやすい)」傾向は圧倒的な情報量を処理する「視覚」にはあまり作用しないということがわかります。
それが容姿、絵に対する自己評価に反映されているというわけです。

認知バイアスとは、認知心理学社会心理学の理論であり、ある対象を評価する際に、自分の利害や希望に沿った方向に考えが歪められたり、対象の目立ちやすい特徴に引きずられて、ほかの特徴についての評価が歪められる現象を指します。

認知バイアスとは?

 

 

よってこのことから
②syamuは自分をイケメンとは思っていない
を導き出しました。

すると
③syamuは自分の性格は良いと自己認識している
についてもおおよそ見当が付くかと思います。

>単数、複数関わらず“you”の立場で物事を考えられない、すべての思考発言の主語が“I”になってしまうというsyamu_gameの特性

この点は僕も同意で、この物事の判断基準が「全てにおいて主観視点である」状況と、
上記のような「概念に対する良し悪しの判断がその時の自分の都合によって流されやすい」傾向を総合的に考え
自分自身の行動が「相手は喜んでくれるだろう」ではなく「相手が喜ぶに違いない」「俺は楽しませるために行動したんだで」という動画から伺える意図を鑑みると
自分の性格がイケメンであると思っている」ことはまず間違いないと思います。

 

「今キュンときたね?」や「心はイケメンでございますゥゥゥ」といった直接的な表現を考慮に入れるだけでなく(ここは冗談とも本気ともとれるため、この発言だけを使って二極的に判断するのは困難)
なので「みんなを楽しませるためにやってる(自分は献身的に行動を起こす人間だ)」と思っている点から、
それをsyamu視点で考えた時に「献身的に行動起こす俺って?」→「イケメン」or「普通」or「ブサイク」
と演繹していくのが僕がこの結論に至ったキモです。

 

なので、僕は「心はイケメン」だという発言については、女性に対して「俺はこんなに心が綺麗なんですよ!!」と強く訴える意図はなく、加点方式というより減点方式で考えて「心はイケメン」という表現を使った
つまり「俺の性格に欠点が見当たらないだで」という意味で「心はイケメンでございますゥゥゥ」と表現したのではないでしょうか。

 

この「俺の性格に欠点が見当たらないだで」というのは、
知能が低いことに起因する


「主観視点しか持たない」

    ↓

「自己内省性がない」

 

であったり


「良し悪しの判断」

    ↓

「視覚情報がない」

    ↓

認知バイアスの干渉を受けやすい」

    ↓

「都合の良い解釈によって欠点が見えなくなっている」


という上記の要素から導き出しました。

 

つまり、シャムさんの自己評価において

・視覚的な情報は割りと正確に良し悪しの判断ができる

・逆にそれ意外に対する判断力は、認知バイアスの影響を受ける(評価を都合よく捻じ曲げてしまう)

という傾向にある。

これを「モグラ愛の法則」と名付けたいと思います。(モグラアイとのダブルミーニング

より良い名前があったり、一般化された名前があればぜひ変えてください。

 

そして、異様に自己評価が高いのは「彼の自己愛が強い」といった積極的理由ではなく

「欠点を見つけることができない」消極的理由から生まれるものではないでしょうか。

彼がアンチコメに対して強気な発言をするのも、防衛機制の一種だ。とする主張です。